2010年1月11日月曜日

大人への通過儀礼の日に

今日は成人の日。

守られる側から守る側へと社会階層を移動するときのわが国で行われている通過儀礼のひとつです。
どこの社会でも大人と認めるときにはこんな通過儀礼が存在しています。

こういった儀式というのはどうして存在しているんですかね。
12月に宮崎の実家であったしめ縄を作り、村人全員で神事を行う儀式がありました。
どうしてまたこんな面倒な儀式が存在しているのか、外から見ていると実に不思議なんですが、よそ者のような感覚で儀式にずっと参加しながら思ったことは、これもきっと村の維持に不可欠なものなんだということでした。
共同体というのは再生産(世代交代)を繰り返す生命体ですから、それが共同体にとって不必要だったらたぶん消滅(退化)しているはずです。
無くなっていかないものは、きっと何かその社会にとって意味を成しているんでしょう。

成人式といった儀式は今後どうなっていくのでしょう。
よくわかりませんが、ひとつ感じるのは、それをたくさんのメディアが取り上げているということです。
良いこと/悪いこと、ともかく成人の日がらみのニュースがたくさんでてきます。
これだけ出てくると、否が応でも成人と言うのを意識せざるをえません。
メディアが毎年取り上げるから、物理的な時間の流れでいけば平等であるはずの瞬間に、20年という刻みが入れられて、そこに奇妙な(正当な?)リアリティが生成されていくわけです。

こうして、儀式とメディアは協働作業によってのっぺりとした均質な空間の中にダーツを投げ、そこに無理やり目印をつけ、その場所・時間を特別なリアリティを持った存在に作り変えていく、そんな役割を持っているようです。

ガリラボの2年生も今日はその成人式を迎えているはずです。
それぞれ固有のリアリティを持って迎えていることでしょう。
成人、おめでとうございます。

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さて、そんな成人の日ですが、ガリラボは朝から多くのゼミ生がやってきて作業しています。
4年の松尾、小出は卒論執筆。
3年は興梠、植田、迫中がでてきてProduce Xの仕上げに向けて頑張っています。
今日は休日なので暖房のない大変寒い研究室ですが、コートを着ながらみなよく集中していました。

仲間と一緒に何かに夢中になる。
青春している瞬間ではないかと思います。
 

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