2020年1月8日水曜日

%がわからない

昔、「分数のできない大学生」というのが話題になり、様々な議論がなされていましたが、その議論はあまり役にたっていなかったようです。
分数から進行して(?)、最近は「%が分からない大学生」という本が出版されたようです。
ある大学で、「%ってなんでしたっけ?」と質問される機会が増えたことへの気づきがこの本に繋がったとのことです。
%問題が、次の日経ビジネス
進むか教育劣化、ついに登場 「%」が理解できない大学生(日経ビジネス2019/12/10)
に取り上げられていました。

記事に中で次の問題が紹介されています。
塩の濃度の低いのはどっちかという問題で、直感的にすぐにわかるもの(はず)ですが、正解のBを選択したのは8割以下だったとのこと。


計算しなさいということだったら数値を間違えることもあるでしょうが、この問題は計算は必要なく、日々の生活の中での経験、常識でおおよそわかるものです。
濃度、割合というものの計算方法ではなく、割合ということの意味が理解できていないのではないかと心配されているようです。

ところで話は逸れますが・・・
では、昔は問題なかったのかというと、きっと昔でも、これをそのまま出したらダメだったでしょう。
例えば昭和の時代、大学が大衆化していない頃、大衆化した現在の大学生と比較する意味で20歳ぐらいの一般の平均的な方に尋ねると、もっと悪い結果になっていた可能性もあります。
ひとつには問いの文章の読解のところで引っかかってしまう可能性がありそうです。
読解力が低くなったとは言っても、教育を受けていなかった時代によりはきっと高いと思われるので、この文面のままで提示すると理解してくれないことも多いのではないかと想像されます。
もっとも、こうした文面ではなく、口頭で説明して、どの経験のことをこの問いが問いかけているのかがわかれば、「それはお前、Aがしょっぱくなるのに決まっている」とほぼ全員が回答されたのではないかとも想像しますが、どうでしょうか。

この時代だと、多くの人が(具体の)数学を経験する機会が豊富にありました。
(具体の)数学は生活、生きていくのに直結するものですから。
それが今は、生きていくのにそうした(具体の)数学を必要としない人たちも多くいるのかもしれません。
そうなると、こうした%問題とかも、自分の経験と離れて理解していかないといけないので一気に難しくなるはずです。
昔の人にとっては具体的な数学であったものが、抽象数学になってしまっている可能性があります。
抽象数学の理解は非常に大変です。経験からイメージすることができませんので。
理系の大学で数学を学んだ人ならばみなそう思うはずです。

%がわからない人たちは、%問題がひょっとすると抽象数学になってしまっているのでしょうか。

もうひとつの例を。

2億円は50億円の何%かと尋ねると、50÷2=25%と答える大学生もいるのだとか。
2は50よりもかなり小さいわけですから、それが25%もの大きな値になるのはおかしいと気づけば、計算方法の間違いに気づき、修正することができます。
平然としている大学生は、どうも、その気づきがないようです。
計算してでてきたものを常識としてチェックすることできていないという・・。
EXCELで計算させていると、よくそういう場面に遭遇します。
とんでもない値でも平気でいる学生は少なからずおります。

先の例の通り、数字が具体の世界とまったく乖離してしまっているのです。
数字は抽象的なもので、自分の経験との無関係になっているかのようです。

私も学生と接していて、こうした驚きの場面に遭遇することが多くなりました。
こうした驚きを大学教員は個々には経験しているはずです。
それを共有し、大学における課題へと転換させていく必要があるのだと思います。
しかし、それが教員集団レベルになると、リアル感が著しく弱くなり、現実と解離した抽象的な話に終始してします傾向になりやすい。
昨日もそんな場面に遭遇しました。
大学が自ら変わっていくのは難しそうです。
%がわからない大学生とあまり変わるところはないのかもしれません。
 
 
分数ができない大学生が話題になった10年(?)前ぐらいに、授業の合間に、本学の学生に対して次の問題をクイズとして出しました(現在も授業の中で紹介しています)。

次図がそれですが、説明文を読むと特に違和感はないはずです。
ごくまっとうな日本語で、論理も破綻しているように思えませんはず。
しかし、明らかに分数の答えとしては間違っています。
そのことを質問してきた小学生に説明しなさいということですが、みなさんどうでしょうか。


実は、この問題自体は数学の本質が絡むので意外に説明は難しいので、正解がでることは期待していませんが、「どうや、みんな」と勝ち誇った感じで話をする私に挑戦してくる学生がいるとそれが楽しみでクイズとして出している。
当初は、かなりの学生が食いつきてきました。
色々と説明を考えてきた学生もいました(授業の感想にこのことを詳しく書いている学生がいました)。
何日も考えたけれどわからない、どうしても気になるから教えて欲しいという学生も多くいました。

しかし、今はほぼ食いついてきません。
気になるから教えて欲しいという学生が皆無になりました。
 
無駄なことはしない。
合理的であろうとしているということでしょうか。
冗長システムの話をするときに合理的というのは破綻しやすいということを話しているのですが、どうも伝わっていないようです。^^

時代の変化を感じさせられます。



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