2011年5月8日日曜日

不屈の人々を見て

昨日、津波で甚大な被害を受けた釜石の町で再起のために
立ちあがっている人たちのドキュメント放送を見ました。

番組のタイトルは、
 釜石 不屈の人々 - 被災地 再起への記録 -
というものでした。


途方もないほどの相手(がれきの山)に立ち向かっている人たち
を取材した番組です。
これを見ながら、再起には目の前の課題をひとつづつこなして
いくことしかなく、そのための時間をかけざるを得ないのだという
ことを改めて感じました。
何を当たり前のことをという感じですが、しかしこのドキュメントを
見ながら、ずいぶん前、2005年に内田樹さん(思想家でいろいろと
ベストセラーを出している方です)が書いていたブログの内容が
甦ってきました。
神戸の大学で教鞭をとっておられた内田さんは、阪神淡路大震災を
体験し、大学もかなりの被害を受けたようです。

その震災の10年後に書かれたブログをずいぶん前に読み、特に
次の内容に深く納得した記憶がTVを見ながら甦りました。

(ブログより抜粋)--------------------------------------
  被害総額50億、復興に3年半かかる被害に比べると、ガラスの
  破片を拾うというような作業はほとんど「砂漠の砂の上に手で掬
  った水を注いで緑化しようとする」努力に等しい。
  そのような作業に集中したり、何らかの達成感をもつことのでき
  る人間はいない。

  だから、今思い出すと、あの復旧作業の間、山本先生や中井さん
  に率いられて学内で「土方」をしていた私たちは「ものすごく短
  期的で、ものすごく限定的な職務」だけに意識を集中していた。

  ある研究室のドアがあかないので、それを数人がかりであけると
  か、200キロほどの機材が横転しているので、それを起こすと
  か、そういうアドホックな任務だけに意識を集中し、それが終わ
  ると「やあ、やったね」と肩をたたき合って、一服して、お互い
  の健闘をたたえ合った。

  それがほとんど九牛の一毛というような微々たる水準の達成であ
  ることが私たちにはわかっていたはずだけれど、そのパーセンテ
  ージは忘れて、とりあえず目前の石ころを取り除くことに集中し
  たのである。
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NHKの番組は、これと全く同じことを釜石の人たちが今まさに行ってい
ることを伝えていました。

圧倒的な自然災害の前に途方にくれそうな時でも「具体的に」活動でき
る人たちがいることを知りました。
そのことを思いながら、さらに私の記憶の奥から蘇ってきたのは、上の
文章に続く、内田さんの次の記述でした。

(ブログより抜粋(続き))---------------------------------
  そのときに、こんな場当たり的なことをやってもしかたがない、
  まず全体の被害状況を把握して、優先順位の高いところに人的
  資源を集中する方法を採ろうと主張した同僚がいた。

  まことに正論であると私は思ったけれど、その意見に従う「土方」
  は一人もいなかった。
  そんな相談のために会議を開く暇があったら、目の前の瓦礫を
  片づけることの方がなんとなく優先順位の高い仕事のように思
  えたからだ。

  その同僚は「ばかばかしくてやってられるか」と憤然と立ち去って
  しまった。
  その通りである。
  「ばかばかしくてやってられないこと」を私たちはやっていたので
  ある。
  それを誰かがやらなくては何も始まらない以上、誰かがやらな
  くてはならない。
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この後にも少し内田さんの話は続くが、とりあえず引用はこの辺りに
して、ブログを読みながら、要するに一見頭の良い人は「動かない」
ということです。

動かない理由を考えついてしまう、からでしょう。
飛ぶ前に見てしまう、というか見えてしまうようです。

だけどその知性は圧倒的な存在に対しては結局役に立たないことを
内田さんの体験や現在の東北の方々の行動は示しているように思い
ます。
結局、何かを成し遂げるには一見バカバカしく思える行為を具体的に
起こせ、さらにそれを継続させていく愚鈍な知性と知的体力が必要なん
です。
それが実は高度な知性なのかもしれません。

高度な仕事に立ち向かっている人はほぼそういった知性を持っている
人ではないかとも感じています。

研究室に配属された後、ガリラボ心得なるものを紹介していますが、覚
えているでしょうか。
といっても2,3年前からのことですけど・・・・

その中で「メンドクセー」という言葉をガリラボでは禁止語とします、と書い
ています。
これまで述べてきたことを意識してのことです。

釜石の「不屈の人々」では学ぶことがたくさんありましたが、時間がなくなった
のでこの辺りで終わります。
今回の震災はそれこそ幕末の時みたいな状況を生み出しているのかもしれ
ません。
高度な創造力が真に求められる時代になっているように思います。
知的体力を維持し、今回の震災のその後を継続的に注視していきましょう。
なお、上で引用した内田さんのブログは以下から読めます。

危機に直面した時、どういった知性が必要なのか教えてくれるかと思います。
難しいことですけど。


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