2013年4月20日土曜日

卒業した09ゼミ生へのメッセージ

09ゼミ生は自分たちのゼミ費を使い、撮りためてきた数千枚(容量にして20GBほど)の
写真をセレクトし、独自にガリラボ09ゼミ卒業アルバムを作成しました。
OG(09)谷、村中が残り、最後の最後、3月末までかかって作成していました。
3月末までかかったのは、卒業式や追いコンなどを入れるためです。

アルバム作りそのものは、予算を使って外部の業者さんに依頼しているようです。
出来上がったアルバムには、ゼミ生個々人が他のゼミ生宛てにメッセージを同封
して郵送で送るのだそうです。
こういった作業を行うのはもちろん会計長のOG(09)谷です。彼女のこうしたセンス
なしには卒業アルバムを作るという発想にも至らなかったはず。
どういったアルバムが出来ているのか、私も見てみたいものです。

ゼミ生宛てのメッセージは私にも依頼が来ました。
ずっと前に来ていました。
ものすごく難しい宿題だったので、後回しにしていました。
何が難しいかというと、「手書きで」ということだったからです。

私にはもはやペンで何かを書くと言うスキルは退化してしまいました。
無いのに等しい。
ペンで書きながら何かを考えると言う能力も消滅しました。
今は、キーボードでしか物事は考えられなくなっています。

谷から催促が来ていました。そろそろ郵送するのだそうです。
ようやく時間のとれた今日(4/20)、朝から宿題に取りかかりました。

(1)まずはPCを立ち上げます。
(2)そしてワープロ上で、文章の下書き。
(3)ワープロ上で少し推敲。
   14名分、全部で2,600文字ほどになっていました。
(4)最後にそれをペンを使ってメッセ―カードに手書き。
本来、清書というのでしょうが、退化した私の指では清書は無理。
殴り書きのような手書きメッセージとなりました。


悪戦苦闘でした。
朝から初めて昼食休憩して、終わったのが16時ごろ。
一日仕事になりました(涙)。
これだけ長くペンを持ったのはほんとに久しぶりで、最後は右手がつりました。

 
やっぱり使わないものは必ず退化していくようです。
自然の摂理です。
歩かなければ歩けなくなる。
考えなければ考えれなkなる。
足の筋肉も、頭の筋肉(神経)も手の筋肉と同じように使わなければ
退化していくでしょう。
 

話がおおきくずれますが、上の手順(1)~(4)は従来と逆になっていることに
気づきますでしょうか。
従来というとPCがない頃ですが、同じ事は例えば高校生から大学生になって
PCを本格的に使うようになっても生じるものです。
この変化は、ペンからキーボードへの移行によってもたらされます。

タイプライタの時代、あるいはワープロの初期の頃、これらの道具は清書の
ために存在していました。
そのときの文書作成というと、まずは鉛筆で下書き、そして鉛筆と消しゴムを
使いながらの推敲。
それが普通でした。
大学入試の小論文の時がそんな感じですね。
そうして仕上げた文章を、最後になってワープロで清書していく、そういう
順番でした。


道具の利用は人間の行動を深いレベルで変えてしまいます。
メッセージを書くという上の私の行動でわかると思いますが、ワープロという
道具は人間の考えるという行為に大きな変革(イノベーション)を起こしました。
ペンを使って考えている時とキーボード上で何度でも消しては書けるという
状況とでは考えている内容は恐らく同じではないでしょう。
脳と外部記憶(紙またはディスプレイ)とのやりとりのスピードが全く違いますし、
編集という操作が根本的に違いますから。

現在は、キーボードとワープロという道具が思考のやり方を決めており、現在
生み出されている様々な知的資源はそれらに深いレベルで規定されているはずです。
道具とは、使っているようで、実は私たちの行動に制約を与える性質を備えて
います。
道具の持つこうした重要性に気付いたのがヴィコツキーという心理学者でした。
ガリラボの大学院ゼミでは、現在、ヴィコツキーがよく話題にでてきます。
 

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