最優秀賞をもらったということで、お祝いと解散式を兼ねたコンパを昨晩(2014/4/19)
開催しました。
次の写真は、メイキングを含む映像の入ったDVDで、3年(12)田中が作ったもので、
全員に配布していました。たくさんの思いが両面に印刷されたA4用紙1枚に包まれていました。
上通りの入り口にあるお店で談笑する4人。
OG(10)石原、3年(12)坂本、M1(14)吉村、3年(12)田中。
映像を作っていた2013年12月~2014年1月の時からそれぞれ1学年づつ上がっての
再会でした。それぞれ成長したように思います。
形がないところにひとつのカタチを作り出して行く作業ですので、クリエイティブだし、
また撮影や準備などで行動力も要求される。
非常に総合力の要求される活動と言えます。
ちょうど今読んでいる文献にひとつの発見が記されていました。
学生時代に一生懸命に勉強した経験は、ミドル・エイジになって差が生まれてくる
のだ、と。
今すぐは結果が見えなくても、その経験が人生の後半になって効いてくるのです。
大学時代を疎かにはとてもできない。
ミニッツメイドの経験も、やった、頑張ったといった単なる経験ではなく、ミドル・エイジ
になってこそ花ひらく学びへと転換していってくれるといいかなと思います。
まあ、この4人なので、きっと大丈夫とは思いますけれど。
祝賀会が終えて、帰ってから坂本と田中とのメールでのやりとりの中で、特に坂本が
おおよそ次のことを書いていました。
ミニッツメイドでの約4ヶ月間、本当に楽しかった。
なかなか案が出てこなかったときとか苦しい日々を過ごしましたことも
ありましたが充実感と達成感でいっぱい。
そして何より、先輩方と映像を作れたことが一番よかった。
映像を作り上げることで先輩方とさらに親交を深められた。
楽しさって、その時の仲間と共にした「苦しさ」から生まれることが多い。
そうした苦しい活動を異なる知識の人たちが何かに向かっているとき、それを
実践の共同体と呼びます!
実は、この共同体の持つ学習に関する効率は非常に高い。
それもこれも先生が「きっかけ」を与えてくれたから。
そのきっかけを掴むか掴まないかは人それぞれですが
せっかくチャンスが目の前にあるのに何もしないのはもったいないと
思って今回も参加した。
きっかけをもらうことを「正統性の獲得」と言います。
そこにいていいということを周囲が認めている状態のことです。
そこにいることが当たり前で、理由を言う、理由を考える必要がない状態になる
ことが正統性を得るということです。
そうした場所が、いわゆる「ホーム」というものに相当するでしょう。
極めて単純なことですが、しかしこれこそが学びに向かうための極めて重要な条件と
なります。
意外に見過ごしているし、逆にせっかくの正統性を手放すことも多い(最初は
居心地が悪かったりしますから)。
最近、気づいたことですが、その人がどこに荷物をおくかが正統性に微妙な変化を
与えることに気づきました。
荷物を置く場所こそがホームだからでしょう。
私はガリラボがホームであり、そこにいる人たちと基本となる共同体に入っていたい
ので、毎朝自分の荷物をガリラボの特定の場所において、それから学内をあちこち
してます。
そのことの意味をあまり考えたことはありませんでしたが、自分の荷物の置き場所が
どこであるかで、正統性=共同体への参加資格に微妙な歪みが生まれるみたいです。
話題が逸れてしまいました。
これまで、荷物というものには、あまり着目したことはありませんでしたが、共同体の
参加資格、そして正統性において非常に重要な意味を持っていそうです。
時間があれば、またいつか詳細に考察してみたいと思います。
さて、正統性を獲得できるかどうかは運もあります。
だけど、運とは偶然に来るものではありません。
呼び寄せている。
そういう意味では必然でしょう。
呼び寄せることに成功したチャンスは積極的にゲットした方がよいでしょう。
「チャンスの神様は前髪しかない」のですから。
H2ロケットで、静止軌道に衛星を投入するには周到な準備が必要です。
これとまったく同じで、実践の共同体内で学んでいくにはそのために準備が必要なのです。
坂本と田中は、水の国やミニッツメイドでの活動が、H2ロケットの役割を果たし、
それによって、ガリラボという共同体の中で学びを深めていくべき成長の軌道にうまく
投入されたのかもしれません。
(正統性については ガリラボ通信2013/8/3にも書いてます。参考までに)
話題が飛びますが、正統性のことと映像を作ることとを絡めて少し話をして
みたいと思います。
このブログを書く、少し前、録画していた「東北発☆未来塾」を見ました。
是枝裕和監督が「映像のチカラ」というテーマでドキュメンタリー映像について福島の
高校生に教えている番組です。4回シリーズになっています。
http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/140407.html
番組の中で是枝監督がこう言われたのです。
カメラに向かって「つらい」と言うと、つらいことが撮れたと思いがちだけど、
それは嘘だから。
「つらい」という言葉を撮らずにつらさが伝わるのがいちばんいい。
これを聞いて、先日、3年(12)尾堂が15秒CMの映像を編集している時のことを思い
出しました。
尾堂が編集しているPCのディスプレイが何気なく目に入ったのです。
自分のデスクに行く途中でした。
同じ部屋にいるから当然でしょう。
さらにそこに声をかけさせやすくする何かがあって、それに導かれるように、
「何やってやるの」と言いながら画面を覗き込みました。
15秒CMの編集であることを知り、動画を見て、すかさず「これはダメだ」と
コメントしました。
表現が直接的だったのです。「つらい」ことを「つらい」と言葉で表現して
しまっている。
単刀直入の表現ではダメなのです。
表現したいものを、その言葉を使って表現することは、説明したことにならないのです。
コトバとは非常に便利な道具です。
だけど、それは上手に使わなければいけない。
しっかりと考えて使わないといけない。
その場では、映画「舟を編む」に出てきた「右というコトバを説明できるかい」という
フレーズを使って尾堂に(そしてその場に居合わせた坂本や田中にも)話をしてあげました。
ということで、尾堂のチームはとりあえずやり直し決定ですね。笑
是枝監督による番組で取り上げられたドキュメンタリー映像は、これからもや研の中
でも作成していくことになっています。
制作を行うチームには、上記のことをしっかりと考えてほしい。
真剣に考えてほしい。
せっかく作って行くのだから、優れた、誰もが感動するものを作ろう。
そのためにたくさん作って、修正を繰り返していこう。
そして、最後の最後まで10割までをやりきろう。
神は細部に宿っているのだから。
成果はすぐには現れなくても、ミドル・エイジ=社会の中核になってから現れる
はずだ。
ちなみに私も大学時代、研究を通して(死んでないですけど)死ぬほど勉強しました。
その時に培った物事に向き合う態度が、今も継続しているように思います。
長く、またまとまりも悪い内容になりましたが、この辺りで週末のコラムは
終わりたいと思います。
上で「そこにいていい」「何気なく」「その場に居合わせ」「自分の荷物の置き場所」
といった言葉を赤い文字で強調しました。
簡単な表現ですが、実は、このことは学びにおいて、深い意味を持ち、決定的な意味
さえ持っています。
機会があれば(そして時間があれば)、この辺りの意味を考察して、この場で紹介
できればと思います。
おまけ画像
ミニッツメイドの打ち上げの席です。何をやっているのでしょう。笑
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