記憶にありません。
だいたいが、土日以外は祝日でも大学にいくの普通の生活をずっとしていました。
リズムが崩れるのを避けたかったからです。
人には安定した周期のリズムというのが必要だろうと思います。
リズムが不規則になると、アウトプット(生産)活動に影響するものと思い、できるだけ
機械のような正確さで、リズムを維持するよう気を付けています。
そて今日はそのリズムを少し破り、午前中は自宅で読書に精を出していました。
曲がり角にある高等教育の問題を扱った文献を読んでいました。
現在話題の汎用的技能を核にした高等教育のコンピテンスモデルについては示唆に
富むことが多く、目からたくさんの鱗を取りながら、今後について思索しておりました。
コンピテンスモデルの台頭と同じくして、問題発見・解決のための実践知の重要性も
明示的に語られるようになっています。
これまでの大学は19世紀のドイツモデルによって、理系では実験室で、文系では
ゼミナールが重要なところでしたが、実践の知を要求する現代になると、その知の
生成には、ワークショップやフィールドワーク、さらには大学の社会への越境などが
求められている。
そんな文献を読んでいると、もや研の活動の意義を今の大学の改革の流れの中で
位置づけることができることがわかります。
歴史の流れの中で、もや研のようなものは、必然として誕生する運命にあったわけです。
ガリラボに生まれたのは偶然でしょうが、それが生まれたのは偶然ではなく、歴史の
必然のようです。
いつになく難しいことを書いてしまいました。
もや研はもやいすと育成プログラムの中でワークショップをどうデザインし、そして
どうそれを駆動させていくという極めて実践的な「問題発見・解決のための実践知」が
ガリラボのゼミ生たちには要求されます。
300人近くの1年生たちを学びの中に導いていくための、一種の謀(はかりごと)を
考えるのがもや研です。
戦国時代に、こうしたことをやっている人たちは軍師でした。
謀は、一緒に考え、そしてそれを共有していると、奇妙な一体感が生まれます。
もや研という、周囲からみたらひょっとすると得体がしれないと思われている軍師集団は
そこで生まれる1年生の学びへと誘導していく謀(はかりごと)=ワークショップという
策を共有していくことで、これからますます一体感を醸成させていくのに違いありません。
さて、この謀(はかりごと)が成功するかどうかは9月にわかります。
うまくいけば、きっと大きな自信と喜びになるでしょう。
戦国の世、軍師たちの謀(はかりごと)で、城がひとつ落ちるようなものだとと思います。
もや研のメンバーたちは、軍師というメタファーで自分たちを捉えると、何をやっている
のかがよく分かり、活動がきっと楽しくなるだろうと思います。
もや研を統括するM1(14)吉村はそうすると軍師官兵衛のようなものでしょうか。
いや、それはちょっと大げさですね。ちょっと違いすぎます。笑
それとついでに、軍師集団と行動を共にする、3年(12)坂本らの映像作り集団は、この戦国の
メタファーではどう捉えればよいでしょう?
うーん、ちょっとすぐに思いつきません。
時間があれば、考えてみたいと思います。
それともうひとつ。
もや研のように、グループで問題解決にあたる必要があるときに方法論を知っていると
便利です。
午前中のCIA活動で知った方法を紹介します(出典)。
以下、原文を引用します。
1.最初に、その課題の目的は何かを把握する。
2.その上で、どのような成果や価値を生み出すことが求められているのかを把握する。
中には、課題が与えられた時点で、上記が決められておらず、「自由に考えてよい」という場合も
あります。その場合は、1と2を自分たちで仮決めします。
3.対象は誰か?
4.その対象の人たちは、何で困っているのか?
3と4を考えた結果、場合によっては、上記2.を修正することもあります。
5.対象となる人が困っていることを解決するには、どんな対応策が必要か?
6.参加メンバーが過去に経験したケースで、参考になるものはないか?
7.具体的な実行計画はどうなるか?誰が実行するか?実行者がいない場合、誰がやるべきか?
8.あとで確認すべき事項は何か?
もや研での謀(はかりごと)を議論するグループワークではこの方法論を使ってはどうでしょう。
そして、もしこれが良い方法であれば、もやいすと育成プログラム内のワークショップにこれを
組み込むべきかと思います。
もやいすと育成のひとつの目標は地域の問題を解決していく実践知の習得ですから、そのため
の基本技能を学ぶ必要は当然ながらあります。
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