2013年2月16日土曜日

学生最後の時期だからこそ、学生として過ごしてはどうでしょう

土曜日ですが、今日のガリラボは、県北地域の観光案内板の改善に
向けた調査を行っている3人娘(3年(10)石原、漆島、清原)が
朝からやってきて追い込み作業でした。
また4年(09)村中はずっと勉強をしていました。
4月に向けた準備のようです。

案内板チームはというと、月末までに案内板の改善に向けた報告書を
作るのです。
データをまとめていくと、試算すると報告書は250頁以上にふくれあがる
可能性があります。
ちょっと膨大です。
この膨大な量にこれから挑戦します。
さらに、ここに来てチームでやるときの事前打ち合わせや取り決めの
仕方の大事さにも気づいたようでした。

見ていると、春休み、3人ともしっかり学生してます。

学生は時間があり色々なことができるわけですが、こうしたやり方も
学生としての実践としていいなと思います。

個人的な回想になりますが・・・
私の母校の大学は3学期制という特殊なやり方をとっていて、そこの2期生
でした。
まだキャンパスもちゃんと出来上がっていなかったので、大学を自分たちが
造っていくのだという雰囲気が先生にも学生にも溢れていたように思います。
そんな大学で、卒論は4年生の3学期にあるだけです。
その前の1学期と2学期は数名のチームで大実験というのを行っていました。
1学期はクリーンルームに入って、トランジスタというICの部品を作る実験を
やっていたのですが、結果的にうまい具合に動作しなかった。
動作しないままに終わり、実験についてのレポートは2ヶ月間の夏休み終了後に
課されました。
なぜ、そう思ったのか今となってはよく思い出せませんが、2ヶ月間の夏休みの
すべてをこのレポートに捧げることにしました。
図書館にこもり、トランジスタとその製造に関する理論を読みあさり、うまく
いかなかった実験データを理論的に説明することに挑戦したのです。
夏休み期間中は他の課題は何もないので、これだけに集中してかなり勉強する
ことができました。
ある予測を立てて、確か、100枚以上(もちろん、その当時ですからボールペン
による手書きです)のレポートを書いたように思います。
提出したときの担当の先生が少し驚いた感じであったことを今でも覚えています。
後日、その先生から話しかけられ、「君のレポートは間違っていた」と理由と一緒に
教えていただきました。

知的レベルの低い段階でのことなので、そんな誤りは当然かと思います。
しかしながら、そこまでやる必要のないところで、必要以上に頑張るというのは、
実は学生としての体験として重要ではないかと、そう思うのです。
今だったら、夏休み中には、バイトして稼いで、余った時間でお金を使っての旅行に
行ったり、服買ったりすることが効率的であるのかもしれませんが、だけど、一見、
無駄に見えることが、実は長期的に見るとかなり効率的であることだってあります。

先日、何かの拍子にガリラボで「いまを生きる」という言葉を使った記憶があります。
私自身は、長期的に見たら、それが一番賢いのではないかと思っています。
今目の前にあることを120%でしっかりと実践する。
妥協しない。
ほんとにしっかりと実践する。
小さなことですが、その積み重ねこそが、自分をどこかに連れて行ってくれる。
たくさんある時間を、しっかりと足で固めながら実践していく。
将来的に見て、これほど効率の良いことはありません。

今、案内板の作業をやっている3人を見ていると、「いまを生きる」というのを
実践しているように思います。
ガリラボにはそういった人たちがたくさんいます。

4年生も学生生活最後だからと、単に遊ぶばかりでなく、遊ぶにしても、考えないと
やれないことをやっていくべきかと。
例えば、全くお金を使わずに旅行してくるとしたらどうすればいいか、とかですね。

4月がゴールでありません。
4月はスタートです。
ウォーミングアップ無しにスタートしては、最初でこけてしまうでしょう。
可能であればバイトなどさっさとやめ(どうせ4月から一生働くのですから)、
学生生活最後だからこそ、<真の学生>らしいことをやった方がよっぽど賢い。
4月のスタートをしっかりと切るための準備としてですね。
そう思います。
 
去年のこの時期にも似たようなことを書いていました。
こちらです。
参考までに。




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