2014年12月9日火曜日

「経験知を活かす」とは

今朝は冷え込みました。8時ごろ、外気温は1℃ぐらいだったようです。
ガリラボ前に広がる(?)演習農園には一面の霜が降りていました(寒っ)。

ガリラボ内はもちろん温かく、今朝のシクラメンはご覧の通り。まだ生き延びています。^^



今日は1限目は講義。3年(12)生がたくさん受講しています。
ただし本日の演習はあまり出来がよくなかったような・・・・笑

2限目から(11)木下、(10)田口、(11)西口と卒論発表についての指導をして
急ぎ昼食を食べた後は、そのまま本部棟へ。
ところで、その合間だったか、2年(13)上田と塚田が友だちの絵本の発表に向け
映像を撮りたいとのことでビデオカメラを借りていきました。
道場で使っているようですが、最近、13ゼミ生が私がいない間に、道場で活動
しているようです。
なお、上田と塚田の2人はもちろんビデオカメラの扱いはまだ要領を得ないでしょう
から、4年(11)西口がサポートのため一緒についていってくれました。
いいですね。こういうの。
こういう形で、知識やスキルがうまく伝わり、ガリラボ全体のレベルの底上げに
つながっているのです。
そんなことを思いながら本部棟に出かけたのですが、戻ってこれたのは20時過ぎでした。
まだ、ガリラボのPCは多くのゼミ生が張り付いていました。
 
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朝、ツイッターで、羽生さんのインタビュー記事の存在を知りました(こちら)。
羽生さんの「若手に負けぬための秘密の習慣」という記事ですが、その中に、経験する
ことの意味が次のように書いてありました。

よく「経験知を活かす」といわれますが、それは経験してきたことが「そのまま活かせる」ということではないと思います。世の中も、自分を取り巻く情勢も変わりますから。
「経験知を活かす」とは、経験から得たさまざまな選択肢の中から、目の前にある問題やテーマに対して、何が一番いいアプローチの方法なのかを選んでいくことだと思います。
勝負の世界では、ベストだと思う手法が通じるかどうかは、常に皆目わからないものなんです。ただ、この場面でこのやり方は通じないとか、この手はあまりよくないだろう、という当たりはつきます。
経験知が活きるのは、そういう場面での対処ではないでしょうか。つまり「こうすればうまくいく」というより「これをやったらうまくいかない」ということを、いかにたくさん知っているかが大切であるような気がします。
                           Yahooニュース プレジデント2014/12/7より

経験とは正しい知識ではなく、負の知識がものをいうのだとあります。
目から鱗でした。
講義で失敗学に関して「分かる」とはどういうことかという話をしますが、その時
 わかる=こうすればうまくいく知識+こうやるとうまくいかない知識
であり、正と負の知識の双方を持っていて初めて物事が分かるのだと話しています。
羽生さんの話からしても、経験の段階で、いかにうまくいかない体験をしているかが
非常に重要であることが明らかです。
ということは、昨日のエジソンの話(ガリラボ通信2014/12/8)にまた行きつくんですよね。
すなわち、スピード感が如何に大事かということです。
質を上げたり、成功したりするには、スピードが大事なわけですが、スピードを上げる
ということは、つまり、膨大な失敗(これをやったらうまくいなかい)を蓄積させていることに
他なりません。
だから、うまく行くんですね。

沢山の失敗をするから、それが新しい対象に対する経験知として作動するから、
うまく行くんですよね。
乏しい体験ながら、膨大な時間を捧げて失敗をしてきたゆえに、その意味が体の芯の
ところでわかります。
参考:「空の産業革命」の黎明期に向き合うガリラボ通信2014/12/7

「どうやればいいんですか」と正しい方法だけを聞き、最短で物事を進めていく人は
その意味で、その瞬間に経験しているとは言えないのだろうと思います。
体験しても、それを経験に昇華できていない!

経験とは奥が深い代物です。

最後に、羽生さんがインタビューの中で最後に書かれていることを引用して終わりたいと思います。
ただ、折々に判断を下すときに、私は人間が本来持っている「野性の勘」を大切にしたいと思っています。
 将棋では、過去に習い覚えたことがまったく役に立たない場面がしばしばあります。羅針盤が利かない状態が起こるのです。そうなると勘に頼るしかないのですが、世の中が便利になり、生活が快適になるほど、その勘は鈍っていくように思われます。ですから、勘を磨く習慣やトレーニングが必要だと思います。何をするかというと、「羅針盤の利かない」状況にわざと身を置くことです。
 それほど大げさなことではありません。たとえば私は、初めて訪れる待ち合わせ場所などには、しばしば地図を持たずに行きます。住所だけを頼りに、頑張って考えたり、人に聞いたりしてこっちかな、あの道だなと勘を働かせながら歩くのです。昔はそうするのが必然でしたが、今はそういう機会は意識的につくらないとなかなかありませんね。

野生の勘、野生の思考はガリラボが目指すところ(だから、左のカラムには、レヴィ・ストロースの野生の思考のテキストを掲げています)。
そのためにフィールドワークをたくさんやっている。
すべてはこの先、未知の出来事に対応していく野生の力を少しでも鍛えていくためです。

 

 

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