発表するためにやってきたのか?
今日は4年生が卒論発表のリハーサルを通しで中4教室で行いました。
13時から15時までみっちりと。
冒頭、4年(13)塚田ゼミ長から、趣旨についての説明や連絡があり、リハスタート。
しっかりと原稿に目を向け、やってきたことを正確に発表するゼミ生。
原稿を持たず堂々と発表するゼミ生。ただし、少しアドリブが入ってしまう。
原稿なのかどうかよくわからない手帳のようなものを持って発表するゼミ生。
色々な発表スタイルのゼミ生がいます。
先週の練習(ガリラボ通信2016/12/7)とは雲泥の差でした。
完成度が非常に高まっているゼミ生、完成度というよりも安定性に重きをおくゼミ生など、
この視点でのゼミ生も色々でした。
発表を聞きながら、昨日読んだ、ボブ・ディランのノーベル賞授賞式へのメッセージを
思い出していました(参照)。
ちなみに、今朝の新聞には日本人の方の受賞コメントも全文が載せてありましたが、
それ以上にボブ・ディランのメッセージは、大きなスペースを使って日本語と英語の
全文が掲載されているのに驚きました。
ボブ・ディランについて日本のメディアがどう思っているのかよくわかります。
発表を聞きながら、ボブ・ディランのメッセージを思い出しつつ・・・
ボブ・ディランは自分が文学をやってきたとはまるで思わず、詩を書き、
曲を作ってきたのだといいます。
だから、「自分の曲は文学なのか?」と問いかけたことなどまるでなかったと言います。
曲をつくり、それが売れることを考えながら、続けてきたのだということでした。
スウェーデン・アカデミーは、それを結果的に、素晴らしい文学だと判断しました。
世界中にかなりの衝撃が走ったのだろうと思います。
(ガリラボ通信2016/10/16でこの時のことに少し触れました)
冒頭、
発表するためにやってきたのか?
と書きました。
これは、ボブ・ディランの
自分の曲は文学なのか?
と、そんなことを問いかけることもなく突き進んできた結果の文学賞という事実に接し、
ふと思いついたフレーズです。
質の悪いコピーですが、他に思いつかなかったので、とりあえずそのまま使いました。orz
コツコツと成果を出そうと頑張ってきたゼミ生たちは、最後のこうした発表するためにそれを
やってきたわけではありません。
その時々に課された問題に向き合い、それを解決しようと頑張っていた人たちでした。
結果的に、そうしたコツコツと問題に向き合ってきたゼミ生たちの発表がやっぱり一番良かった。
発表をしているというよりも、きちんと伝えようとしているように感じました。
発表するためではなく、きちんとコミュニケーションするため、伝えるためにそのゼミ生たちは
そこに立っていたように思います。
伝えるものを持つためには、途中の優れたプロセスが欠かせません。
優れた発表には、そのことは十分条件ではないにしても、必要条件ではあるかと思います。
塚田ゼミ長が、残り5日になったと書かれたスライドで、リハーサルは終わりました。
最後に、「17日までパワポの提出を許可する」と13ゼミ生に塚田が伝えていました。
コツコツとやってきたことをどう表現するか、自分がやってきたことをどう伝えるか、
そんなことを必死で、最後まで考えると良いと思います。
良いプレゼンとは、上手に話すことではありません。何を伝えないといけないのかを
考えることにあります(それ以前に伝えるべきものを手にしておくことが必要ですが)。
リハーサルをやっていた中4教室にOB(11)谷口が顔をだしました。研究室にはカップ麺を
おいときました(下)とのこと(居合わせた13ゼミ生は歓声を上げておりました)。
次の方向についての報告でした。嬉しいニュースでした。^^
これは4年(14)時松からのお土産。岡山に行ってきたんですね!
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