2017年9月17日日曜日

「ひたすら寄り添う」という高度な支援

「東北の震災と想像力」という書籍の内容を話題にして2週間ほど前に「山が攻めて
くる」というエントリーを書きました(ガリラボ通信2017/9/3)。
それからそのままサボって放っていたのですが、台風18号で朝から雨。
出かけることができなかったので、本日、ようやく読了しました。

たくさん刺激を受けました。今日はそのいくつかを紹介します。
(昨日も固い話でしたが、今日も同じく、です)

(1)傾聴以前のこと
困難に陥っている人に、語りかけること、特に「すらすらとした言葉」を向けることは
迷惑この上ないものです。そうしたとき、傾聴が大事なのでしょうが、お話を聞くのは
かなり難しいものです。聴くには相手が語る必要がありわけですが、そうした語りを
引き出すには、ただ「そこにいる」ということが大事です。

  そもそもわたしたちはほんとうにしんどいときには、他人に言葉を預けない
  ものだ。だからいきなり「さあ、聴かせてください」という人には口を開か
  ない。黙り込んでいた子どもが、母親が炊事にとりかかると逆にぶつくさ語り
  はじめるように、言葉を持たずにただ横にいるだけの人の前でこそひとは口を
  開く。そういうかかわりをまずはもちうることが大事である。その意味では、
  聴くことよりも、傍にいつづけることのほうが大事だといえる。(113頁)

傾聴力というのは、社会人基礎力などでよく耳にするようになった流行語ですが、実は、
その傾聴より以前が重要だと話されています。

(2)信頼されるということ
人に信頼されるというのはどういうことが必要なのでしょうか。
次はその一つの例です。

  火山学の専門家が噴火の予知をしたのですが外れてしまって、その人が
  予知した時期よりも先に噴火が起こったんです。それで、その火山学者は
  地域で総スカンを食うかと思ったら、誰も彼を責めなかった。理由を聞い
  たら、わたしたちが正月や盆でぐうたらしているときでも、1日も欠かさず、
  毎朝火口を見に行ってくれてたのを知っているからって。
  だから、信頼というのは研究の中身もあるけど、もっと深い信頼はその研究
  者がどういう心持ちで、どういう志操で、それに取り組んできたかというこ
  とで、(略)
  自分たちのできないことを自分たちのために、自分の利益も考えないで必死
  でやってくれているというその姿に、人は信頼を寄せてきたのです。
  (180頁)

今日は読書だけでなく堤真一主演の映画「孤高のメス」も見ました。
法律がまだ整っていない状況で脳死患者からの肝移植手術に挑んだ外科医の話でした。
感動しました。
医者の仕事を責任を持って全うしようとしている姿は、周囲からの信頼を育むことに
なり、上記の火山学者と重なりました。

(3)copresence(いてくれること)
上記2つと重なりますが、最後の一つ。東日本大震災直後の大阪大学卒業式での
総長(鷲田清一さん)式辞からです。

  阪神淡路大震災のときに、わたしは当時神戸大学の附属病院に勤務しておられた
  精神科医の中井久夫先生から一つの言葉を教わりました。copresenceという言葉
  です。中井先生はこの言葉を「いてくれること」と訳し、他人のcopresenceが被災
  地の現場でいかに重い意味を持つかを説かれました。被災直後、中井先生は地方
  の医師たちに救援の要請をなさいました。全国から多くの医師が駆けつけたので
  すが、中井先生はじめ神戸大学のスタッフが患者さんにかかりっきで、応援団に
  なかなか交替のチャンスが、回ってこない。そのうちあまりに長い待機時間に小
  さな不満が上がりはじめたとき、中井先生はその医師たちに集まってもらい、
  「予備軍がいてくれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる」
  と語り始めました。そして、「その場にいてくれる」という、ただそれだけのこと
  が自分たちチームにとってどれほどポジティブな意味を持つかを訴えられたのです。
  (223頁)

全体として平易に語りかけられている式辞で、こんな式辞を聞いてみたいものです。
抜粋した部分は、状況によっては、ただじっと「いてくれること」がどれほど大事な
意味を持つのかを教えてくれるものです。
子どもなども、全てを受容してくれる母親のような保護者がいてくれることが非常に
大事で、それが「安全基地」となって冒険ができることが知られています。
それは大人であっても同じであることを上記の例は教えてくれます。そのためには、
何かあったらいつでも手助けができる状態でじっと待ってくれている人たちの存在が
必要なわけです。


以上、3つの例を紹介しましたが、どれも他者に「ひたすら寄り添う」というもので、
真に大人の姿勢が紹介されているように思いました。
なかなか実践するのは難しいことですけど。

文化人類学者の梅棹忠夫さんが「請われれば一差し舞える人物になれ」と話された
そうです。
梅棹さんの言葉は、「あいつに任せれば大丈夫」と周囲に信頼を得ている人物である
ことを意味するでしょう。請われるような実力を持ち、請われるまでは「ただそこに
いて」寄り添える、そういったことができる人材が高いレベルの支援ができる人材に
なれるのでないかと思います。
また、このことは組織の中で多様な立場で1個人として動くときにも大切となります。
だから鷲田さんは式辞で上記の話を語られたのでした。
鷲田さんは卒業生に向けてこうした話をされ、式辞の最後を、
  真に教養のあるプロ (229頁)
になってほしいと結ばれていました。
ガリラボのゼミ生もそうあってほしい。

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台風18号一過。夕方、きれいな晴れ間がでました。



 


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