2017年9月3日日曜日

山が攻めてくる

所用で宮崎を日帰り往復してきました。写真は、幼いころから目にしてきた
自宅前に広がる田んぼで、私の原風景です。
海と山とに囲まれたわずかな平地を田園にした集落に生まれ、物心ついた頃から
変わらないこの景色を見て育ちました。


変わらない風景の記憶が定着し、建物等の人工物は時間と共に変化し朽ち果てて
いくけれど、自然の風景は何十年も変わらないのだと思っていました。
自然の再生力は素晴らしいと、そんな思い込みをしていたように思います。
余談ながら、再生力による「何も変わらない」という状況は、少なくとも若い世代に
とっては退屈さを生み出し、この地を離れるひとつのきっかけとなっていました。
私などはその代表例なのかもしれません。
 
今回、幼い頃の風景を目にし、「何も変わらない」というのは実は間違いであった
ことに、強く気づかれされました。
よく考えれば当たり前なのですが、足元のことにあまり思いが至っていなかった。
人が出ていき、高齢化の進んだ集落には耕作放棄地が生まれます。
これまで気づいていなかったのですが、集落の外れの方をたまたま通過してて、
実家のすぐ近くであるにも関わらず耕作放棄地となって原野へと変わり果てた姿に
なっていました。
幼い時によく遊んでいた広場も原野に「変わって」いました。
写真のように見慣れたところはまだ「人の手入れ」が行き届き「何も変わらない」
状況を作っていましたが、外れでは着実に変化が起きていたのです。

外れには、幼い時から見慣れていた時とは明らかに違う風景が広がっていて、自然
とは「何も変わらない」ことはないことに気づかされました。
人工的な自然だからこそ初めて「何も変わらない」状況が生まれていたわけで、その
ことを深く認識しました。

そんなこと、改めて考えれば当たり前のことなのですが・・・
想像力が欠如していました。

実家近くの民家の裏がすでに原野になっている。
日本中いたるところで起きていることなのでしょうが、衝撃的でした。
普通には人を寄せ付けない原野が成長し、風景を変えていってる。
自然との共生というのんびりした話ではなく、こうした原野とどう戦っていくのか
そんな問題の存在に気づき、熊本に戻ってきました。
もやいすとの授業で扱うテーマそのものかもしれません。

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八代中の生徒への特別講義の準備の関係もあって「想像力」についての書籍を
いくつか入手しています。
先日、手にしたのが「東北の震災と想像力」という書籍です。
その冒頭に、被災した人々へのケアのついての話題がありました。
なんでも、ある避難所の入口に「心のケア、お断り」との貼り紙があったらしい
のです。
私自身は被災者とまではならなかったですが、熊本地震の中での熱狂を肌で感じた
身としては、貼り紙をする行動をある程度は理解できます。
そうした状況の中で、もっとも支援がうまくいってたのは兵庫県の精神医療者を中
心としたチームであったそうです。阪神淡路大震災を経験した方々ですね。
このチームは
  「みごとに、何も言わない」で、「テーブルが汚れていたら
  そっと拭き取る」ような支援に徹していた
そうです。素晴らしいですね。ほんとに素晴らしい。
支援する側には、このチームのような豊かな想像力が求められるのだと思います。
想像力の欠如した支援は支援でなくなる可能性があることをこのチームの行動は
教えてくれます。
  
この書籍に、著者の一人である赤坂さんの「東北巡礼」というコラムが収められて
いました。震災を受け、そこからの変化をどう捉えていくかを語られているのですが、
以下、その一部です。
  人があまりに深く、自然の懐に入り込みすぎたがゆえに、自然からの
  反撃を受けたのではないか。津波はたんなる天災ではない。寺田寅彦も
  語っていたように、それは常に、人災としての側面をもつのである。
  (中略)
  いずれであれ、人と自然とを分かつ境界が大きな再編のときを迎えて
  いることは否定しがたい。山あいの村々では、里山の崩壊とともに、
  奥山から野生の獣たちが次々と里に向けてあふれ出そうとしている。
  「山が攻めてくるんだよ」と、山に暮らす年老いた女性は呟くように
  言った。その人は小さな畑をサルの群れから守るために、孤独な戦いを
  つづけながら、サルの群れの背後から、もっと巨大な山という野性が
  境界を越えて押し寄せてくるのを、たしかに感じ取っている。
この中の「山が攻めてくる」というのに強く共感しました。私が宮崎の実家の風景に
接し感じたことが的確な言葉で表現されていたからです。

山が攻めてくる。こんな状況にあるところがたくさんある。また自然の問題だけでも
なく、それ以外にも課題となっている状況はたくさんあるでしょう。
そうした状況を生きている中で、どのような未来を描いていくか。
未来を構想するのは想像力です。
山が攻めてくる現実を体で理解し、その上で、未来を描いていく想像力を鍛えて
いく必要が私たちにはあります。


  

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