2017年9月24日日曜日

気になる「大丈夫」という言葉

本日午後は、台風で延期となった自己推薦入試の面接日。
午後、研究室で仕事しながら、待機しておりました。
特に何事もなく終了したようです。

ところで、また風邪をひいてしまいました。
数年前までは、風邪など引いたことがなく、病院とはまったく無縁の生活を送って
いたのですが・・・。年齢のせいでしょうか。情けない。
それで何人かのゼミ生は「大丈夫ですか」と優しい声をかけてくれます。
これらのゼミ生が悪魔払いをしてくれたようです。
おかげで、ほぼ回復しました。
人は社会的動物(ガリラボ通信2017/9/23)。周囲との良好な関係が、取り憑いた
悪魔を追い払ってくれるものです(スリランカの悪魔払いより)。

大学での教員生活を通して、20代の学生たちとの社会関係の中にある私です。
彼らと一緒に行動していると現代社会についての様々な発見があって刺激的です。
昔を知っているから、それとの比較の中で新しさを発見しているわけですが、その中で
昔はなかった新しい言葉に出会って、意味がわからず呆然とすることがあります。
2010年ぐらいだったように思いますが、「ヤバイ」という表現(言葉)に出会った
ときがそうでした。
若い世代には、非常に多義的な意味を持っている言葉として、かなりの場面で利用され、
多くの場合が「ヤバイ」の一言で片付くようでした。
美味しい料理を食べた時「やばい、この料理」と表現しますし、その真反対、美味しく
ない場合も「やばい、この料理」となるようでした。
非常に便利に使っている。笑

言葉とは世界を切り取り、自分の内部世界を構築していくものです。
色々な状態を表現してしまう言葉は、その便利さのために、周囲の微細な構造や変化を
明確に理解しないままに終わってしまうのではないかと心配になりました。
生きている世界が豊かにならず、非常にのっぺりとした世界を生きることに陥って
しまいはしないかと気になりました。

もっとも話し言葉の時には、顔の表情などで「ヤバイ」を補っていて、それで意味を
確定させているのでしょう。だから、現場ではほとんど困らない。
しかし、そうした文脈依存の言葉(インデックス性が高いと言います)だけで過ごして
いると、その現場を後で言葉を用いて再現することはできず、その経験はなかったこと
になってしまいかねません。
インデックス性の高い言葉を多く使って過ごしている人たちは、書き言葉による表現が
かなり不得意で、文章を書かせると、添削するのが非常に困難な、意味不明の文章に
なることが多くあります。
現代は、書き言葉が優先している社会。
文章を書く時には、インデックス性を取り去って、表現していく方法をトレーニング
していかないといけません。

「ヤバイ」以外にも色々と新しい言葉に出会ってきているわけですが、最近になって
大変気になっている表現が、
 だいじょうぶ
です。これもかなり多義的に使われているようです。
色々な場面で使われていて、「ヤバイ」に出会った時と似た感情を持ちました。
「大丈夫」という発話を聞いて何を大丈夫と言っているのだろうと、何を言っている
のかがわからないことが多いのです。

それで、気になって調べてみたら、もう2年も前にこの現象に気付き、調べている方が
おられました。
すでに若い世代に「大丈夫です」が普及しているようです
この調査から2年が経過しているので、今はもっと普及しているのかもしれません。

・・・・さて、だからどうだというわけでもありません。
便利で、そしてそれを使っていて支障がでないようであれば、自然とこの言葉は普及して
いくでしょう。「ヤバイ」と同様に。
ただ、その際、次の点は気をつけておくべきです。
多様な言葉を知っていてあえて「大丈夫」を使うのと、それしか知らないで「大丈夫」を
使うのとは随分と違うものです。
もちろん、私は前者を推奨します。
そっちが自分が生きている世界(フィールド)を様々な視点から見ることができ、
豊かに生きていくことができると思うからです。
前者になるためには、たくさんの言葉を獲得する必要があります。

ということで、結論 ⇒ 本をたくさん読みましょう。^^;
  



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