2017年9月6日水曜日

もやいすとシニア2017集中講義2日目(玉名市フィールドワーク)

本日は集中講義の2日目でフィールドワーク。玉名市の日本遺産関連施設見学に
出かけてきました。

玉名市横島町のふるさとセンターY・BOXで、現地の案内人である玉名市の
平野氏と合流。


米作りに向けた玉名の干拓の歴史を知るため、横島の展望公園に出かけた。
横島の周囲は当時は海だった。


バスを途中で止めて、展望公園まで徒歩で移動。


案内人から干拓地を眺めながら歴史を詳しく教えてもらいました。
現地の案内人とは、平野さんです。笑


お客さんは誰もいませんでしたが、この地の干拓の壮大さに圧倒されました。
干拓の手始めはもちろん加藤清正ですが、その後は色々な人たちがやってき
たようで、1800年代のある区画の干拓は「地元漁師」というのがあり、
驚きました。


横島のこの付近は蜜柑がたくさん植えてあり、道なりにまだ青い蜜柑がたくさん
生っておりました。学生が、「ミカンって、こんな感じで生ってるの」と話して
いる声が聞こえてきました。
そうか知らないのか・・・と。
生産と消費の現場は随分と離れているのだなということをフィールドワークを通
して発見しました(笑)。


その後、移動し、干拓施設=堤防を見てきました。
はっきり言って、例えばこれをどう考えればよいのか、私にはよくわかりませんでした。

ただ、干拓施設の横に墓地が整然と並んでおり、そこに記念碑があり、その文言を
IR室の佐藤と読み、強く惹きつけられました。干拓後にここに入植し、干拓地を
農地へと変えていくための相当な苦難があっただろうということを想像できました。
そうした方々の証しを残すべく、墓地はあえて干拓施設の目の前に置かれたのだろ
うと想像すると、この地の歴史が感慨深いものになりました。
干拓のことを単純な観光と結びつけるだけではなく、もっと深いレベルで考えていく
必要があるのかもしれないなと、そんなことを思いながら、記念碑の文言を熟読して
おりました。


お昼、滑石にある公民館=友愛館にいきました。休憩施設としてお借りし、ここで
昼食を摂りました。

ランチタイム。クーラーが利いて、しばしのリラックスタイムであったかと思います。


13時。菊池川河口に移動し、シジミ救出作戦の実行。
上流から流れてきてしまい、死滅寸前のシジミを集め、それを上流にもっていって
放流するという実験への協力です。

こんな干潟での活動。カンカン照りでなくて良かった。

ぬかるみに足を取られ、学生たちは大変だったようです。
現場にはIR室の佐藤はもちろん、TAとしてM2(16)山口とM1(17)多賀も
出向きました。大変だったようです。


私はというと、陸で後方支援。まあ、こんなに予定が変わるのもないだろうと
いうぐらいに予想もしない状態が起きて、私も含め4人(平野さんもそのひとり)
の後方支援チームはてんてこ舞いでした。
シジミ救出も大変だったでしょうが、それがあの程度の大変さでなんとか終わった
のは、実は後方支援チーム(私以外3人)の活躍、そして現場チームとの連携があ
ったからです。
もやいすとシニアのメンバーには、その辺りについて気づいてもらうと良いの
ですけど。

ディズニーランドは楽しいでしょうが、楽しさを得るのはお客さんであり、その
楽しさを提供するスタッフ側は汗だくで動いているはずです。シニアとはそっち側に
近くなる人であり、だから、そうした裏方の作業をどうやっているのか、その辺りに
目が向くようになるといいでしょうねぇ。

19:30頃に玉名市から帰ってきました。
その後、佐藤、山口、多賀、そして職員さんの支援チームは、本日の後処理作業を
遅くまでやっていました。
支援チームは、みんな優秀です。だから、こんなにレベルの高い授業を作って
いけるのですけど。

フィールドはほんと何が起きるわからない。学校という空間が授業を進める上で
如何にうまくコントロールされているか身に染みます。
今日は特にそれを感じました。 
  

20時ぐらいに研究室に戻ると、3年(15)八並がMOREの学生自主研究の作業を
やっていました。
体調不良だったらしい3年(15)藤川も出てきて、2人で映像の最後の詰めの作業を
やっていました。
この「詰め」の作業がやれるようになるというのは大事ですね。そうした積み重ねが
結局は上記の優れたチームが持っているスキルへとつながっていくものです。

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