2011年1月31日月曜日

一分間の長さについて

元旦よりほんとに寒い毎日を我慢しながら過ごしてきたわけですが、
あっという間に1月も終わりになりました。

明日からは2月。
きっともっと寒くなるでしょう。orz

さて、本日のガリラボは午前中にゼミ新聞部がやってきました。
まずは2年(09)中島、そして3年(08)長井。
早朝から頑張ります。
が、よく考えると今日が本来は締切の日。
 
まだ終わっていないようです。
ということで、今週末まで締切を延ばしました。
 
すべて終わったら、試験終了後にでも、なぜ締切までに終わら
なかったのか、その振り返りをしてほしいと思っています。
「出来た、終わった、よし次」だけでは成長しないですからね。
 
同じく午前中に3年(08)戸高との進路面談。
その間、同じく3年坂本も玉名の件でやってきてちょっとしたことを
やっておりました。
 
さて戸高とは、1時間ほどの面談。
例によって雑談ばかりでしたが、その中で、これからの活動に
ついて見方が変わったと言っていました。
 
さて、戸高と話している中で、別のあることに気づきました。
 
ある大手企業では面接時間を1分間に限定しているところが
あります。
そして、この方式の面接に切り替えて、優れた学生(つまり金の
稼げる社員)が5倍に増えたということでした。
 
このことについて、以前は、長時間面接だと話し上手な連中に
惑わされて、第1印象という優れて直感的な判断が崩されて
しまうからだと漠然と考えていました。
 
それもあるでしょうが、しかしやっぱり違いますね。
 
1分って短いように思いますが、よく考えればそうではありません。
CMとかその4分の1の15秒という短い勝負しているのです。
 
映像コンテストにガリラボは出ていますが、それだって90秒ほどです。
 
あの中にどれほどの情報量が詰まっているでしょうか。
NHK映像コンテストの出たゼミ生たちならば、体の芯から
よく理解はずです。
だって、90秒を作り上げるために数か月を要しているのですから。
 
数か月かけて勉強した知識が90秒の中に凝縮し、しかも他者に
分かりやすい形で表現されている。
 
そうか、1分間面接って要するにこういうことも見ているのか、と
思いました。
 
その企業に自分が適していることを短い時間で表現するって、
かなりな能力が要求されるわけです。
 
漠然とした形で面接に出向いた人たちは、何を言っているのか
相手には伝わらないでしょう、たぶん。
 
とりあえず、当たり前のことなのですが、話しながら改めて
気づいたのでした。
戸高にとってはかなり新鮮なことだったようです。
 
ついでながら、身体は言葉を拒むという話もしました。
体、すべてで責任を追おうするときの言葉は流暢さとは無縁だ
ということを話したような気がします。
 
それのことから、流暢に話せるのが良い面接ではない、のだと。
 
プロポーズのコトバという、とりあえず遠い世界の仮想的な比喩を
用いて話したのですが、私が言わんとしていることは十分すぎるほど
理解してもらえたようでした。
 
 
 
午後から私はずっと会議でしたが、ゼミ新聞部はずっと
作業していたようです。
3年(08)川崎、長井、矢田、2年(09)中島。
後、少しです。みんな頑張ってください。
 
 
夕方、3年(08)大塚とちょっと打合せ、その後4年(07)冨田と英語の勉強。
その途中にはM2(09)吉本が来室。

1月最後の日。
今日もガリラボはたくさんの人で一杯でした。
 
 

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