ガリラボ通信では何度かブリコラージュという言葉を使ってきました。
これは・・・ウィキペディアに説明してもらいます:
ブリコラージュ(Bricolage)は、「寄せ集めて自分で作る」「ものを自分で修繕する」こと。
「器用仕事」とも訳される。元来はフランス語で、「繕う」「ごまかす」を意味するフラン
ス語の動詞 "bricoler" に由来する。
ブリコラージュは、理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもの
で、その場で手に入るものを寄せ集め、それらを部品として何が作れるか試行錯誤しながら、
最終的に新しい物を作ることである。
ということです。^^;
そして、ブリコラージュする職人のことを「ブリコルール」(bricoleur)と呼びます。
若かりし頃、私が目指していたエンジニアとは対照的な人たちです。
ブルコルールの詳しい説明もウィキペディアにお願いしたいと思います:
ブリコルールは既にある物を寄せ集めて物を作る人であり、創造性と機智が必要とされる。
また雑多な物や情報などを集めて組み合わせ、その本来の用途とは違う用途のために使う物や
情報を生み出す人である。
ブリコラージュやブリコルールは、文化人類学者のレヴィ・ストロースが地球上の
様々な地域での調査の際に気づいたことで、人間が本質的に持っている思考とし、
これを「野生の思考」と呼びました。
これに対し、近代の知である抽象概念を用いて物づくりを行っていくエンジニア
リングを「栽培的思考」と呼びました。
このガリラボ通信の左のカラム(の一番下)には、レヴィ・ストロースの著書
「野生の思考」の表紙を掲げているのをお気づきでしょうか。
昔から、野生の思考もガリラボのゼミ生にはしっかりと身につけてほしいとの
思いから、ここに、載せているものです。
野生の思考から栽培的思考へと転換していったのは、近代化の過程で、生産者と
消費者が分離していったことによるものでした。
工業化とは一般の人々から野生の思考を縮小させていく過程だったと言えます。
現代の情報化はそれに棹さすものとして登場し、ブリコルールの現代版を生み出
してきています。
ちなみに、その兆しはメディアでは前からあって、マスメディアに独占されていた
情報の生産が一般の人たちの手に渡る聖俗革命が進行しています。
例えば、普通の人が器用に放送なども行えるようになってきました。
モノづくりの場面、本来のブリコーラジュの場面でもそれが見られるようになって
きています。
次の写真は、LOFTの一角にある&Fab(アンドファブ)というコーナーです。
現代の情報化が生み出したブリコルールの一例であろうと思います。
&Fabでは、LOFTで購入した雑貨を「世界でただひとつのモノ」に変えていくブリコ
ラージュ的仕事が行われています。
「つくり手」と「贈り手」と「使い手」が一体となった新しい共創の試みといった
ことが行われ、「「買った雑貨を「チョイ足し」で自分流にカスタマイズできる。
「あらゆる人々の手によるモノづくり」の入口が大きく開かれた。」という考えの
下でビジネスを展開しているようです。
下の写真は200円のコップに自分のところの猫をUVプリンタで描き込んだもの。
加工費は1,800円(!)だそうです。
情報社会はあちこちで新たな聖俗革命を引き起こしています。
コンピュータとネットという現代の新しいエンジンによって牽引されている情報社会の
特徴付ける現象かと思います。
その具体例のひとつを&Fabに見たように思います。以下は、&Fabについての記事です。
興味のある方はどうぞ。
・ユーザーのアイデアが「世界に1つだけのモノ」をつくりだす &Fab(1)
・「&」でつながる「つくり手」と「買い手」 &Fab(2)
・ユーザーと共有した挑戦・不安・喜びのドキドキが新しい可能性を生み出した &Fab(3)
ここまで野生の思考をポジティブに捉えて書いてきました。
実際に、そうした思考を強化することが必要だと思っていて、だからガリラボでは
それを目指すことを宣言したりしているわけです。
それなのに、それに逆らう形になりますが・・・
10月24日に八代中の生徒への講義では、近代的思考=エンジニアリング的思考である
「栽培的思考」について体験してもらう予定です。^^;
まあ、どっちも大事ですから。
両方とも勉強していきましょう。欲張って。
八代中の生徒のファシリテーターとなる3年生はどうぞしっかりと勉強してください。
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