残りが「ゼロ回」。今日は4年(12)ゼミ生の最後のゼミでした。
2年生の11月から、70回以上やってきたゼミが今日で最後。
最後のプログラムは下記の通りです。
いつもどおり、田中ゼミ長が進行していきました。
最後のゼミの様子の記録係りとして、ボランティアを依頼し、3年(13)多賀と藤村が
参加してくれていました。
まずは恒例の卒論提出の儀式。皆、学籍番号順に1列に並んで出かけていきました。
卒論提出。
提出から戻ってからは報告会。現在、班に分かれ卒業までに必要な活動を
行っていますが、それぞれの班から状況報告をしていました。
写真は卒業旅行企画班の川口が報告をしているところです。
各班が終わり、会計長の村上から2年間の総決算したまとめの報告がありました。
最終的な決算報告はすべてを終えて全員でメール連絡するそうです。
会計のしっかりしていることが色々な活動で非常に大事だと、村上を見ていると
本当にそう思いました。
そして、社会という新たなステージに向かうために、タイムカプセルにガリラボでの
思い出を封印する儀式「封緘(ふうかん)式」が執り行われました。司会は山田。
開会宣言は、封緘式を企画した丸野が行いました。
まず、この時期に流行していた、あるいは記念になりそうな小物をタイムカプセルに
納めていきます。
個人ごとに小物をもってきており、その意味を発表してカプセルに納めていきました。
順番をじゃんけん!
一番は、じゃんけんで負けた(勝った?)丸野から。
丸野は12ゼミ生のムードメーカーとして活躍しました。今朝の新聞に活動が
紹介されるという奇跡が起きましたが、これは偶然ではなく、丸野が2年間に
わたって頑張ってきたご褒美なのだと思います。熊日さんも嬉しいことをして
くれました。感謝です。
嶋中。3年生でたまランナーズで活動するようになって活躍が目立った嶋中。
玉名の着地型観光は嶋中のアイデアなしでは今回のようにパワーアップすることは
無かったでしょう。
梅田。6次産業をやるんだから毎日6時に起きて大学に来いと、訳の分からない
私の指示を忠実に守り、6月から今までずっと毎朝8時には大学に来ています。
授業も何もなくて、雨の日も、風の日もずっとですよ! 普通の学生にできますか!?
継続していく強靭な精神力を持っている男です。
最初は周辺にいましたが、気付いたら最後はガリラボでかなりの十全的参加を
果たしていました。
小田。最後少し息切れをしてまったように思います。せっかくなので、息切れの
ことを直視し、次に向けて頑張ってほしい。いい脚(100m10秒台)を持って
いるのですから(関係ないですか笑)。頑張れ、小田!
村上。6次産業のことをやりたいと希望していて、それだったらガリラボがいいよと
適当なことを私が話していたわけですが、4年生で無事(?)に6次産業のことを
テーマに卒論することになりました。偶然だったのでしょうか、必然だったのでしょうか?
会計長として財布のひもをしっかりと締めながら、12ゼミ、ガリラボの活動を支援して
いってくれました。
尾堂。1年生の時から付き合ってきた、気配り力(=情報探知能力)にかけては
尾堂の右に出るものはいないでしょう。非常に気の付く尾堂。長い付き合いなので、
私の家内と会う機会も結構あって、家内にも人気のある学生でした。
卒業させたくない学生の1人ですね。(卒論の単位を落としましょうかね。笑)
田中。ゼミ長。ガリラボのすべてを取り仕切ってくれた偉大なゼミ長でした。
ゼミのやり方についてこれほど深く考えたゼミ長はそんなにいなかった。
田中に任せておけば、100%安心でした。
目代。いつの間にか、ガリラボのマスコットのようになってました。
他に書くことは・・・。とりあえず無いということで。笑
あっ、そういえば12ゼミ生の記録係りでした。そういえば。。
目代の撮った写真をガリラボ通信でもよく利用させてもらっていたのでした。
少しは役に立っていたようです。
坂本。映像づくりが得意で、2年生の時にはガリラボで映像づくりNO.1になることを
目標にしていたと思います。宣言通り、見事な映像を随所で見せてくれました。
2年生時の水の国くまもとで最優秀賞を受賞した時、坂本の貢献は非常に大きかった
ように思います。副ゼミ長として、70回に及び議事録をその日のうちに作って私や
幹部に送ってくれた行動も非常に見事でした。
川口。イベントで川口は欠かせない。根っこから明るい感じの川口のおかげで、
ガリラボの10周年記念興津会は非常にうまくいきました。たくさんの卒業生が
参加した10周年だったのでプレッシャーがあったはずですが、よくぞ頑張った。
大成功でした。
古賀。ガリラボでは非常に静かな印象を持っていますが、3年生の時、
五木村の子どもたちの夏休みの勉強会ボランティアに参加してくれたことが
印象に残っています。卒論では、きちんと心理尺度を使ったアンケートを
取っていましたが、勉強家でした。
森。50回目の白亜祭の企画長だったので、その際、副学長の立場で
色々と森には無理なことを言いましたが、きちんと対応してくれ、50回という
節目の学園祭にふさわしいものをつくってくれたように思います。
学生たちは意外に前例主義になっているのを少し壊してくれたのが良かった。
山田。4年生でたまガリとして玉名で活動してきましたが、アイデア豊富だし、
積極的にやっていていい感じでした。ただ私が非常に印象に残っているのは、
3年生の時の15秒CMだったかな、映像の中で山田が言った「みらい」という
言葉が妙に印象に残っています。本当に「未来」を感じた山田の言葉でした。
小物が終わり、それ以外のたくさんの思い出の品を目録に従ってタイムカプセルに
収めていきました。目録を読み上げるのは田中。
最後に今朝の熊日新聞も入れました。当初から計画していたものですが、奇跡としか
言いようがないですが、12ゼミのことが今日の新聞には大きく掲載されていたの
でした(ガリラボ通信2016/1/27)。12ゼミ生への熊日からの大きなご褒美でした。^^
タイムカプセルのふたが閉じられました。
戸棚に封緘式実行委員長の丸野がゆっくりと収め、カギをかけて封緘の
儀式は終了。
道場で最後の記念撮影。平成28(2016)年1月27日(水)11:37のことでした。
2016/1/27
このメンバーが集まったのは2年半前のこと(ガリラボ通信2013/7/18)。
外見も内面も相当に成長しました。(この時は左端に現在留学中の河邉がおります)
2013/7/18
さて、12ゼミ生もとうとう歴代のゼミ生たち同様にタイムカプセルを作り、
これまでのゼミ生の仲間入りをし、ガリラボの歴史となりました。
戸棚の「12卒業記念」の文字を見るたびに、この13人の12ゼミ生のことを思い
出すことになるのでしょうね。
ここ最近、忙しくなりガリラボにいる時間が激減しましたが、ガリラボに戻り12ゼミ生と
一緒にワイワイと悪だくみを考えている時がほんとに愉しかった。
悪だくみが過ぎて、ずいぶんと無茶な課題もたくさん出しましたが、おおよそそれに
きちんと応えてくれたのも12ゼミたちで、道場の貼ってある「評価=実績/期待値」で、
常に期待値を超えてきたのが12ゼミ生たちでした。
誉めすぎにように聞こえるかもしれませんが、実際にその通りのことをやってきた
学年でした。
ほんとに面白かった。
玉名で活動している時、もやいすとで活動していくとき、面白くてしょうがなかった。
終わるのは残念でなりませんが、仕方がない。
13人全員、ガリラボで鍛えた力でもって、次のステージで活躍していってほしい。
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