2017年5月4日木曜日

GWに読書のススメ

世間はGW真っ最中ですが、以下、それとはまったくかすりもしない話題です。

ツイッター経由で、立教大学が学生向けにレポートの書き方やプレゼンのやり方などを
冊子にまとめ公開していることを知りました。
コンパクトによくまとまっている資料です。
時間を見て、一度、目を通しておくとよいかと思います。

次のサイトで閲覧できます。
立教大学大学教育開発・支援センター
http://www.rikkyo.ac.jp/about/activities/fd/cdshe.html

 
ここ数日、合間に150頁ほどの次の本を読みました。第155回芥川賞を受賞した作品です。

本の帯には
  コンビニこそが、私を世界の正常な部品にしてくれる。
  「普通」とは何か? 現代の実存を軽やかに問う衝撃作
とのキャッチコピーがおいてありました。
 ”熱狂から距離をおいて”ということを最近、このガリラボ通信に書くことが
ありますが、それと似たことをテーマとして扱っているように感じました。
現代社会で私たちが「普通」と思っていることは、実はその前提をあまり疑うこと
なく受け入れています、普通は。
そう考えると、こうした普通とは、前提について冷静な見方を失った熱狂と変わる
ところはないのかもしれません。
私の性格として、熱狂することもありますが、その時にもそれに乗れない自分が
同時に存在していて、コンビニ人間の作者の言いたいことが非常に良く分かりました。

普通って何でしょうか?
また、普通から外れるとはどういったことでしょうか?

本の中で私が目を留めたところはいくつかあります。
その一つだけ紹介したいと思います。
このコンビニに通ってくる年配の女性がいて、この方がレジで
  ここは変わらないわねぇ。
と「店員」である主人公に話しかけるシーンがあります(51頁)。
主人公は、”少しの間のあと”に、
  そうですね!
と返すのですが、その際、
  店長も、店員も、割り箸も、スプーンも、制服も、小銭も、バーコードを
  通した牛乳も卵も、それを入れるビニール袋も、オープンした当初のものは
  もうほとんど店にない。ずっとあるけれど、少しづつ入れ替わっている。
  それが「変わらない」とうことかもしれない。
といった考えている姿が描写されていました。
「変わっている」けれど、それが実は「変わらない」ということの本質なのだと
いうことです。
これは不易流行の考え方そのものあり、赤の女王仮説としてもガリラボ通信では
よく紹介してきました(だから、目に留まったのでしょう^^;)。
変わらず存在していくには、変化が不可欠です。

普通であることを疑う自分の立ち位置を理解すること、また、人間を変化させていく
営みなど、それを可能にしているのは学習以外にありません。

時間のあるGW。
読書して、色々と考えを巡らし、学びを深めていくのもひとつのGWの過ごし方
かもしれません。
レジャーへと走るのが普通のGWに、そんな過ごし方をするのは、普通から外れる
でしょうが、普通からあえて外れ、普通を考えてみることも面白いのではないでしょうか。
これは、特に、普通の仕事と生活にどっぷりと浸り、それにひたすら流されている
社会人にはおススメです。笑
 


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