ガリラボからの南阿蘇に日が昇る直前。7:20のことです。
肉眼では非常にきれいだったのですが、カメラに収めると今一つ。
カメラの腕が今二つ以下であることを悟りました。
シクラメン。先週のあの強烈な寒さに耐え、花が随分と咲き始めています。
さて、いつもはこの時期は添削に必死に追われているのですが、今年はなぜかあまり
追われている感じがしません。なぜ???
昨晩、4年(14)塚田が「添削をお願いします」と2万文字に達した卒論を送ってきました。
塚田は昨日が私への提出締切の日でした。
塚田にしてはギリギリになったなと思いながら、読んでみたら、非常に素晴らしい
内容でした。
若干は気になる部分を修正しましたが、ほぼ添削する必要性を感じないものでした。
塚田に連絡したら「修正がいらないレベルまで持っていこうと頑張った」そうです。
だからギリギリまでやっていたのですね。
締め切りギリギリまで自分で推敲をしていたわけで、「完璧を目指すよりさっさと
終わらせろ」をしっかり実践しているなぁと思いました。
さすがは卒論発表会で優秀賞を取るだけあります。
また、夕方、M2(16)大野から5万文字を超える修士論文の添削依頼が届きました。
これは今夜から頑張って読み進めたいと思います。φ(._.)
添削と言えば、「たまb👀k」の添削もやらないといけません。
高瀬班の原稿を先週には受け取っていましたが、なぜを手を付けないままに
しておりました。
多分大丈夫だろうという思い込みがあったのかもしれません。
今日、空いた時間に読んでみました。
特に文章におかしいところはありません。
非常によく書けていると思いました。
ただし、それが卒論のような解釈がブレが許されない、そして「私」を殺し、客観性
のみを追求する論文調の文章であれば、です。
非常に論理的できれいな表現であるため、さっと読めるのですが、しかしそれと同じ
ぐらいの速さで頭から消えていってしまう。そんな文章でした。
非常にきれいな、他人事のような3人称で書かれる文章とはあまり印象に残るもの
ではありません。
次の文章をご覧ください。この頃読んでいるDEEP THINKINGについての本にあった
ものですが、左と右は同じ内容のものなのですが、左の綺麗な文章は解釈がブレない
ようにきれいに表現されたものです。
一方で、右の文章はそうでもないですね。「首をカクッと」とか真面目に考えると
どういう状態かよくわかりません。
そんな曖昧な文章ですが、右の方に、書いた人の強い息づかいを感じ、印象に残るの
ではないでしょうか。
そもそも「たまbook360+」プロジェクトで表現しようしている書籍とは、大学生が
現場に出かけ取材してきた時の私的メモとして表現しようとしていました。
だから、手書き調のものにしようとしています。
そうした自分のメモだったら、普通は、主観的な表現がたくさんあるのが当然では
ないでしょうか。
取材に行ったのに、相手の話を聞いてなくて、話のメモじゃなく、相手の似顔絵を
ノートに書いてくるような大学生とか容易に想像してしまうですが、どうでしょう。
似顔絵はさておき、メモ用紙には、主観的な1人称的表現がたくさんあるのが
普通のはず。
ただし、完全に1人称だと、悪口を書いている可能性もあるので(笑)、少しずらして
1.5人称ぐらいが良いのかもしれません。
たまbook360+」プロジェクトに関わる3年生は以上のことを頭に入れて原稿を書いて
くれると、面白いものになるだろうと思います。
楽しい、ふと笑ってしまう私的メモとしてこのプロジェクトの成果を表現できればと
思います。
(補足)
1.5人称という小数点を持つ人称の概念は私のオリジナルではありません。
確かノンフィクション作家・柳田邦男が2.5人称という概念を使われていたはずです。
なかなか興味深い概念です。
若かりし頃の私は、航空機事故調査を巡って取材された内容をまとめた「マッハの恐怖」
に出てくる技術者に強く感動し、柳田さんの小説の大ファンとなり、ほぼ全ての著書を
読みました。
「マッハの恐怖」は技術色が強いのでさすがにガリラボのゼミ生に薦めるものでは
ありませんが、医療や命に関する柳田さんの著書は人の問題を考えるのになかなか
オススメです。
2018年1月16日火曜日
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