2018年5月6日日曜日

AIネイティブの子どもたちが成長したとき

昨日の子どもの日。昨日の流れで、今日も子どもについての話題です。
なお、今日は1日雨でずっと自宅にいたのでつらつらと文章だけで書いていきます。
推敲を全くしないままの文章なので随分と読みにくいはずです。

・・・・

先日、隣接可能領域の話題を書いたときに(ガリラボ通信2018/5/4)、子どもたちに
よるアイデアの創造は難しいと言いました。
若いほど創造性豊かだと思い込んでいる人がいそうですが(大人は頭が固い!)、
そうではありません。その点は、大人の方が優れている。
もちろん、未来に向けた可能性については、大人よりもはるかに魅力的なのが
子どもたちです。
これに関して、大人と大きく違っているところがあります。そのことが、その世代に
よって次世代にもたらされる新しいアイデアや価値に強く影響しているのだろうと
思っています。

それは、いつの時代も子どもたちが、その時代の先端の技術環境が人生のスタートに
なっているという点です。

私たち、「Always3丁目の夕日」世代は、子どもの頃に手塚治の漫画に出会い、
そしてアナログTVに出会い、アナログTVでも鉄腕アトムに接した世代です。
アナログメディアが人生のスタート地点にあった世代でした。

その後、時代が大きく変化して、生まれた時にはコンピュータがあり、さらにネットも
普及してきて、それらが身近にある世代が登場します。
その世代は「デジタルネイティブ」と呼ばれました。
私たちアナログネイティブは、大人になってデジタル世界に入らせてもらっているので、
デジタル・イミグラント(移民)と呼べるでしょう。

その後、デジタルネイティブが当たり前になり、スマートフォンがコモディティ
(日用品)となったとき、スマートフォンを無造作に扱う子どもたちが登場します。
今から少し前の子どもたちの時代になるでしょうか。
こうした世代を「ソーシャルネイティブ」と呼ぶことがあります。
電子デバイスを使って、友人たちとさっとつながるという環境が、生まれてすぐに
あるわけで、それが人生の出発点となっている世代です。
こうした人たちは、コミュニケーションというものが根底から私たちとは違って
いるのではないかと思うのです。
確証がわるわけではありませんが、そうだと思っています。

それが、ごく最近では、「OK, Google」や「Hei,Siri」と口にすると反応してくれる
AI技術がごく普通に存在する環境で子どもたちは育ち始めています。
私のところの1歳4ヶ月の孫は、楽しそうに、このSiriを起動するのです。
もちろんまだ言葉はきちんと発しないので、声での起動でなくボタンで、ですけど。
起動したら、Siriが話をしてくるのを喜んで聞いています。
Youtubeでお母さんと一緒とかも良く自分で適当にタップしながら見てます。
1歳からこうです。
平面のディスプレイの必要箇所にタッチしながら何かをしていくという動作が、
そして電子デバイスが完璧に自分のサポーターとしての役割を担い、そうした
ことが先天的と思えるほどのレベルで脳に組み込まれていってるはずです。
私たちのように後天的に、大人になってから追加で修得してきたのと違って、
人生のスタートがその状態ですから、脳のベースの部分がそうした環境が当然の
ものとして出来上がっていくわけで、人格の形成が我々とは異なるものになって
いくのに違いありません。
こうした世代は「AIネイティブ」と呼んでよいのかもしれません。
参考に次の記事もご覧ください→AIネイティブの子供たち

Siriのように音声認識が当たり前で、さらに認識された音声を使って翻訳も当たり前に
なる時代となれば、それまでの作法は色々と変わっていくことでしょう。
電卓(そしてコンピュータ)が登場して、計算するということへの取り組みは、
電卓登場前とは相当に違ったものになりました。
従来であれば計算の専門家でなければできなかったような計算処理を素人が
EXCELを使って”ささっと”やっているのが現代です。
今の時代、自力で計算が出来るということは一般の人たちには不要です。
そして、そうした計算そのものができないからと恥ずかしいと思う人もいないはず。
計算が何なのか知っていさえすれば、計算は道具に任せればいい。

これとのアナロジーでいくと、音声認識と翻訳についての機械学習がさらに高度化し
スマートフォン(将来的には眼鏡型デバイスになるのでしょうか)で”何か国語”も
自在に操れるようになった時、計算そのものができない人たちが高度な計算処理を
実際にやっているように、語学そのものができない人たちが外国の人たちと”ささっ
と”コミュニケーションしている未来が思い浮かびます。

その時、計算同様に、(もしも高度な機械翻訳が可能になったらという話ですけど、
そうなったときには)人間は語学そのものができないからと言って、8〜9割ぐらいの
一般の人たちは、特に困ることはないでしょう。
AIネイティブの子どもたちが成長したとき、一般の人たちは、外国の人たちとの
コミュニケーションはごく普通になっているのかもしれません。
そこで大事なのは、何をコミュニケーションするかが大事になっているはずです。
計算の例でいけば、どう計算を頑張ったかではなく、何を処理しているかが大事な
ように。

一般のレベルで計算というものに対する見方がどう変化してきたか、そのアナロ
ジーで今後の語学とその教育は捉えていく必要があるのかもしれません。
いつの時代になるのかは私にはよくわかりませんが、AI技術の進歩を考えるとそう
遠くないようにも思えます。
なお、このことは、別に語学だけに限らないはずです。
それ以外の教育の領域にも強く関係していくことだと思います。
 
 
卒業した社会人にとってはそうした時代変化は、社会人になった後、自分たちで
乗り越えていかないといけません。
コンピュータが普及を始めて、オフィスに入るようになった頃、世の中のビジネス
マンは必至でコンピュータを勉強していました。そのための本が書店には山積みに
なっていた記憶があります。
変化しない社会はありません。
そうした社会に立ち向かうための武器は独自に学習していく能力しかありません。
となると、社会人になる前に身につけておくべき大事な能力とは、自分で学修して
いく能力なのだと言えるでしょう。

私の学生時代での経験ですが、私の場合は卒論とかが、そうした能力をトレーニング
するために最も大事であったように感じています。 
教育機関は、現在、温室化が進んでいます。それが当然の環境なので、学生の多くが
そのこと自体は感じてないかもしれませんが、かなり優れた温室環境の中で育っている。
上で述べた能力に関していえば、はっきりとはわかりませんが、まずはそういった環境
に自分がいることをどうにかして自覚し、そして自力で学んでいく力、野生的な力を
身につける工夫が今後は必要ではないかと思います。



 
 

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