2010年12月12日日曜日

メディアの聖俗革命

先日、ガリラボ通信の600回を記念して、宇多田ヒカルさんがコンサートをUstreamでライブ中継してくれました、との記事を書きました。
(もちろん、ジョークです。まさかとは思うけれど、しかし本気にしそうな人がふと思い浮かんだので、急ぎ否定のコメントをつけております^^)
 
Ustreamのお知らせを見ていたら、なんとこのライブ中継はユニーク視聴者数で30万人以上、同時視聴も10万人以上となり、Ustream Asiaで過去最高を記録したのだそうです。
凄いものです。
ネット上では興奮があちこちで伝えられたのではないかと思います。
Googleで「宇多田ヒカル」をリアルタイム検索してみると、12月8日の中継のときに極端に書き込みが増加していることがわかります。
Ustreamへの書き込みは20万件以上あったそうです。
本日(12/12)の書き込みも同じぐらい多くなっていますが、これはUstreamが最大の視聴者を記録したことをお知らせしたことによるのではないか思います。

以上、宇多田ヒカルというコンテンツの凄まじさを思い知らされたデータでした。
  
ただし、よく考えると、これを視聴率に換算するならば、極めてちっぽけな数値にしかなりません。
仮にこの程度の視聴数しかとれない見込みのコンテンツだと、TV放映するのはたぶん難しかろうと予想されます。
この意味でTVとは、途方もないほどの巨大なユーザーを相手にしなければならない、極めて特殊な媒体であることに気付かされます。
明らかに、私たちの暮らしとは無縁のレベルの数の人たちを相手にしています。

そのためにTVという媒体は、一般の人の操作対象となるようなものではなく、抽象度を高くした、特別な視点からのものにならざるをえない。 
鳥の眼で世の中を見ていくことが要請されます。

鳥の眼で見る。非常に重要なことです。
それがないことには視野が狭くなる。
 
しかしその一方で、鳥の眼だけでも拙い。
足元が見えなくなりますからね。
抽象度の高い、生活感の足りない眼では、抜けおちてしまうものもたくさんあります。
それを補うために虫の眼が必要となります。

現代のネット技術というのは、この虫の眼を私たちにどんどんと提供してくれている。
Web、ブログ、SNS、TwitterそしてUstreamと続く新しいメディアは、抽象度の低い、具体性のレベルの眼を提供してくれているように思います。
生活の場におけるブリコラージュ=器用人のためのツールがどんどん提供されている。
ちなみに、器用人は、レヴィ・ストロースという人類学者が使った言葉で、「あり合わせの材料で日常を切り抜ける/愉しむ道具を作る人々のこと」を指します。

日常の暮らしや仕事を営む人たちに向けて虫の眼を提供するメディアがたくさん誕生してきています。
ひょんなことからUstreamのことを(急きょですが)勉強せざるをえなくなり、そして実際にそれを使わざるをえなくなったおかげで、現代のメディア環境について考えるきっかけをもらうことになりました。
 
村上陽一郎という科学哲学者は近代化の過程を「聖俗革命」と呼び、神の体系であった自然から神を追い出し、その結果、教会がもっていた一種の権威をはぎ取ってきたわけですが、これと同じような過程が情報通信分野で起きているように思います。
マスメディアという一種の神的な立ち位置にあったものの権威が崩れながら、その技術が一般の生活の場に普及していく過程であるように見えます。
情報通信における聖俗革命(技術的優位さを持った企業という神から普通の生活者へ)がまさに進行しているのが現代なのではないかと感じているここ最近です。
(もっとも逆の革命も進行中かもしれません。クラウドという形で別種の新たな神を構築している過程が進行しているようにも思えます)

さて、書き始めた時はまさかこんなややこしい内容になるとは思わず、しかし止まらなくなったのでそのままにしておきました。
内容的にはかなり不完全なままですが、しかし手が疲れてきたのでもうやめます。
風邪で体力と知力があまりないので。
希望者いるようであれば(たぶん、いないでしょうが)、別の機会にちゃんとまとめて書いてみようかと思います。

さて、ガリラボのゼミ生もまだ風邪の人が多いようですねぇ。
早く治しましょう。
  

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