あるブログを見てたら、徒然草の第55段にこんな文言があることを知りました。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
その現代語訳は次の通り。
住まいの建築は、夏を考えて造りなさい。冬は、住もうと思えばどこに
でも住める。猛暑の欠陥住宅は我慢ならない。
いや思わず、吹き出してしまいました。
クーラーのない14世紀、吉田兼好も夏はどうしようもないほどお手上げ
だったようですね。
ついでに、別のことも思い出しました。
11世紀、清少納言の枕草子にもこんな文章があります。
春はあけぼの。やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、
紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。・・・
ほら、ここでもそうです。「夏は夜がいい」と清少納言も断言しています。
よっぽど暑かったのでしょう、11世紀の日本も。
温暖化(でなかった?)昔も、夏は今と同じく暑かったようです。
夏の暑さが苦手な私としては、吉田兼好、清少納言に完璧に120%以上の
渾身のチカラを込めて同意します。
クーラーはコンピュータより遥かに優れた発明だと思っているぐらいです。
・・・・さてさて、書きたかったのは夏の話ではありません。
本題は、「用なき所」の話です。
徒然草第55段の最後に、こんな文章があるのです。
造作は、用なき所を作りたる、見るも面白く、万の用にも立ちてよし
とぞ、人の定め合ひ侍りし。
良くわかりませんね。現代語訳は次の通りです。
「新築の際には、必要ない箇所を造っておけば、目の保養になるし、
いざという時に役に立つ事があるかも知れない」と、ある建築士が
言っていた。
今度は吹き出すのではなく、ひとしきり感心しました。
「用なき所」つまり住むのに本来不要なところ(例えば、床の間とか、絵を飾って
おくだけの部屋とか)は、
実は不要などではなく、生活していく上で、この余裕が大切なのだと言ってるわけです。
面白いものですねぇ。
徹底した合理性ではなくて、ちょっとした無駄を組み込むことが大事なのだと、そういう
ことを教えてくれます。
さて、今日のガリラボの午後のある瞬間のことです。
ゼミを終え、必要な用事を終えた4年生がすべて帰った後、4年(08)大塚だけが残って
いました。
私もちょっとだけ時間ができたので、時間的な「用なき所」が一瞬生まれました。
ということで、ゼミの際、報告という形の合理的なものではなく、「で、どうなっている」と
特に答えを求めるわけでもない会話を始めたわけです。
この「用なき所」の威力はやっぱりすごいものです。
停滞していた4年生のゼミのあり方を考え直す時間となったし、また玉名チームを研究を
かなり前進させるアイデアなども生まれたように感じています。
「用なき所」の合理性。
冗長性の中に組み込まれている創造性と言った方がよいでしょうか。
そのことを吉田兼好はすでにて知っていたわけです。
糸井重里事務所にも空間的・時間的な「用なき所」が作り込まれ、創造性に寄与している
のでした。
「用なき所」を上手に活用できると、色々なアイデアが生まれるんでしょうけどねぇ。
それを活用できるのももちろん一つのスキルなのでしょうが。。
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