2012年2月12日日曜日

時効(=消滅)の理屈

村中のガリボイスが掲載されていた横に、記者さんの
取材最前線があり、そのタイトルが目に留まりました。

学生たちにとって、新聞はまだ触れていないから、その
意味で、新しいメディアだと書かれています。
それはそうなんでしょうけど・・・・

テレビが出現して、やはり新聞と言うメディアは今と同じよう
なことを言われたという話を聞いたことがあります。
速報性の点で圧倒的に劣っているわけですから、テレビ・
ラジオに勝てるはずがない。
圧倒的な勝ち目がないにも関わらず、新聞は生き残った。
何故でしょう?


新聞を研究したことはないので、よくはわかりませんが、きっと
テレビやラジオの出現とともに、新聞自体が時代に合わせて
スタイルを変えたのではないかと推測しています。
テレビの速報を、24時間レベルの時間遅れを利用して、その
間に取材した内容をもとに、速報に対する解説や物語をなどを
つけて加えて行くというそんなスタイルにですね。
まったくの憶測ですけど。


ガリラボ通信で何度も書いてきましたが、「赤の女王仮説」とか、
ニーチェの「脱皮できない蛇は滅びる」とかですね、要するに、
維持するために変化=適応が必要であり、メディア環境が大き
く変化している時代に、ただそのままで残っていくことは難しい。
そう思います。
ちょうどこの日の新聞には古民家の再生の話がでていました。
やはりそうなんですよね。
古民家は古民家のままで変化してしまった現代にそのまま使わ
れるわけではありません。
古民家であっても、現代風にアレンジされなければ、それは使わ
れない。
従来にないものを生み出していくのは大変な創造力が必要ですが、
それと同じくらい、従来のものを気づかれないままに維持していく
にも大きな創造力が要求される。
形のあるものだけでなく、形のない制度のようなものでもそうです。
常に時代に合わせて修正していく必要があります。


固い話になりますが・・・・
丸山真男というわが国を代表する政治思想学者が「日本の思想」という
有名な本(岩波新書)を書かれていて、整数論にはまっていた時期に、
これも読んだのですが、そこに、民法にでてくる「時効」の概念について
触れてあり、これが私には大変興味深かった。
(以下、かなり古い記憶なので間違っている可能性をあります。ご了承を)


丸山真男が学生時代に習ったらしいのですが、民法の先生が時効
について説明する際、「権利の上に眠る者」とフレーズを使われた
らしい。
誰かにお金を貸しても、その権利はずっと保証されるのではない。
権利というのは、請求すると言う行為を通して初めて存在できるなもの
であり、貸したからと言って何もしない、ただその権利の上にあぐらを
かいて眠っている者に対してはその権利は剥奪される(=時効)のだと、
おおよそそんな話でした。
権利は、それを求める行為によっては初めて保証される、というような
ことだったと思いますが、丸山真男は、これは民法の一法理に留まらず、
広く通用する考え方ではなかろうと書いていました。

まさにそうなのだと思います。
松尾芭蕉はこのことを「不易流行」ということばでまとめています。
一度生み出しただけでは、それがずっと継続することはなく、メンテ
といった行為をずっと続けていかなけば、それが維持されることはなく、
いつか時効がやって来て消滅する。

今、話題になっているSONYなどのわが国の老舗電機業界がちょうど
変化が求められる、そういった試練の時期にあるのかもしれません。
時効が来る前には、創造的なメンテ作業を施していく必要がある。
そういった流れの一環として東大の秋入学とかも出てきているという
見方もできなくはありません。

いずれにしても、変化しなければならない。
そのことは確実です。
しかし、変化するのは骨が折れます。
だけど、変化しないとなると、先に待ち受けているのは消滅ということ
ですから・・・
となると、気は重いですが、知恵を絞り出しながら動かざるを得ませんねぇ。orz


IT断食のことを昨日書いたばかりですが、断食できずに
こうしてPCの前にずっと座っています。orz



0 件のコメント:

コメントを投稿