してくれました。
ICTは学生の成長を妨げる?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20120220/227384/?P=1
学生の学びをテーマに修士論文を書いた松尾なので、内容的にかなり
共感するものがあったのではないかと思います。
これを読み、前半は私自身が考えていることと、レベルの差はあれ、
ほぼ重なっていて、世の中の趨勢としてこうした考えが普及している
ことを再認識しました。
一方、後半のICTについても確かに指摘されている通りかと思います。
情報化を進めようと思っている身としては、このあたりをどうクリアするか
が、課題だなと改めて感じています。
ただし、このことは学生だけに限りません。
社会人であっても同じような行動パターンを行っているようです。
これについては、IT断食という話題で、この点を先日(2012/2/11)の
ガリラボ通信で紹介したばかりでした。
ICTをまったく使わないとか、逆にそればかりで全てを済ませていくとか、
そういった極端になるのが拙いようです、どうも。
言われなくてもわかっていることですが、しかし、バランスを取ることは
意外に難しいものです。
中庸であることをどう維持するか、そこが課題になるのでしょうねぇ、きっと。
みなさん、何事もやることは極端にやってスキルを磨き、あるレベルを
越えたら、真摯な眼で周囲を見ながら、中庸の精神で臨んでいきましょう。
難しいですけど・・・
ICTに走りすぎ、気づいたら、鉛筆で漢字どころか、文字そのものがまともに
書けなくなっている自分がいます(涙)。
そういう意味では、今後は、
ICTが使いこなせますか
でなくて、
鉛筆とノートを使いこなせますか
という昔言われていたリテラシー教育を復活させることも必要になって
くるのかもしれません。
学生はともかく、私を含め、ICTに染まり過ぎた大人には必要な気がします。
さて、本日は夕方から、菊陽町三里木商店街の総会の場で、これまで
活動してきた電子書籍について紹介をしてきます。
きくりん人のメンバーによる発表と卒論に向けての協力依頼をしてくる
予定です。
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以下、上記ブログの引用です。
(前略)それでも、私の教員生活において、授業など形式上の教育が、教育活動全体に占める割合は10%を超えたことがない。残りの90%は、私の研究室に配属された、卒業論文と修士論文に取り組む学生との研究活動に割いた。
私は欲張りなので、学生との共同研究活動において、1)研究成果を上げること、2)教育成果を上げること、3)社会に貢献(普及)することの3つを追い求めてきた。一石三鳥を狙ってきたのだ。3つの目的を同時に追い求めることの相乗効果は高い。何よりも学生が育つ。論文のための研究経験しかない学生が大きく成長するとは思えない。結果として、私の研究室が取り組んだ研究テーマのほとんどすべてが産学連携かその卵になるものだ。
パートナーになってくれる企業は、最初は造船業界だった。設計法の開発テーマだったり、商品開発テーマだったり。2000年以降はバラエティー豊かになった。道路公団、電力事業者からスタートし、書籍流通業、エレクトロニクスメーカー、自動車会社、通信販売会社、飲料メーカーなど数えきれないぐらいに増えた。「社会システムを科学的に設計し経営すること」をメインテーマに据えた結果である。
研究成果と社会貢献と学生の成長の掛け算
こうして35年が経過した。最後の年の学生――修士課程の5人、学部4年生の4人――を卒業させる最終段階になった。最後だからという感慨はあまりない。淡々といつものように、時には厳しく、時には優しく、研究成果と社会貢献を考えながら学生たちの成長のお手伝いをしている。
東大工学部では、1人の教員が同時に9人の学生を卒業させることは少ない。普通は合わせて5人ぐらいなのだ。最も人気のない教員は1人か2人の時だってある。2011年までの私の研究室はもっとたくさんの学生がいた。教員や秘書を含む研究室のメンバーが40人に迫った年もあった。この数だと、忘年会の場所探しが難しくなる。
2011年は色々な事情があって修士課程から8人、学部から5人を卒業させた。修士論文と卒業論文の提出日は大学院と学部で決まっていて、1週間しか差がない。従って私は短期間に13本の論文をチェックしなければならなかった。幸い優秀な助教のN君がいるから随分助かった。だが、それでもかなりきつい。そんな研究指導を行いながら、沖縄や東北に出張したり、様々な産学連携プロジェクトを行ったりしなければならない。
35年間、様々な学生が私の研究室のメンバーになり、巣立っていった。東大生は裕福な家庭の子女が多いと言われているが、そうでもないケースも少なくなかった。
18歳で大学に入学した時から27歳で大学院博士課程を卒業するまで、親から1円ももらっていない学生もいた。お坊ちゃまのような学生だったのに、父親の経営する会社が倒産して一家離散状態になった博士課程の学生もいた。この彼を助手に採用して大学教員への道をつくったこともあった。外資系の金融関係企業に向かう学生の中には実家の貧しさを理由にする人もいた。
パソコンが授業を“侵略”
様々な学生に対して、生き方や正しい価値観も伝え教えてきたつもり。ただし、いちばん直接的に教えてきたのは論理力だ。職業人の能力は論理力、構想力、人間力、行動力の4つが重要だと思う。若くてまだ実社会体験のない大学生に対しては、中でも、正しい論理力をつけさせることが大切だ。構想力と人間力は、社会に出てから行動力で勝ち取るものだ。
ところが肝腎の論理力が年々低下し続けているように見える。
1月から2月にかけて、2011年は13本、2012年は9本の論文をチェックした。この期間に痛切に思った。
パソコンの色々な機能や色々なプログラムを使いこなすことが勉強になってしまって、そのもとにある考え方や論理を知らないまま、研究を「作業」として進めてしまう傾向がある。
表計算ソフトのエクセルは便利だが、学生の論理力を低めてしまう。エクセルに組み込まれた論理に任せてしまうからだ。例えば、ある曲線で近似するとき、どんな関数で近似したか知らないままだったりする。パワーポイントもいけない。絵とイメージで誤魔化してしまう部分もあるからだ。これでは数学の力が低下してしまう。私たちが大学院生の頃は「数学公式集」がバイブルのようだった。数学力はモデル構想力の素なので、論理力を高めるのに不可欠な力だ。それを汎用ソフトに任せるのはよくない。
私が最後に行った講義は「社会システム工学と技術経営」という3年生向けのものだ。この講義名だけを見ても難しい内容のものであることが分かるだろう。かつては「流体力学」など、既に体系化された学問分野の内容を教えることが多かった。しかし、システム創成学科を創設した時、講義の構成も大きく変化させた。私に与えられた難しい教育内容の科目がそれだった。
2011年10月から2012年1月まで、この講義を13回行った。学生の受講態度は今までと違っていた。私が講義内容をスクリーンに映して話をしているのに、かなりの数の学生が自分のパソコンを見ている。パソコンで何をしているのかまではチェックしていないが、私の話を聞いていないのは明らかだった。
一方で、他の教員にはない、社会とつながったユニークな研究開発活動を中心とする私の授業の内容に感動してくれる学生も多かったのだが。
大学を去る時になって、今一度ICT(情報通信技術)の時代の大学教育の正しい形を考え直さなければならないと思う。
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