2012年2月13日月曜日

面談だったのか何だったのか・・・

今日は時間があると思っていましたが、そうでもなく・・・

3年(09)谷が面談の予約をしていたので、10:00から
開始。
春休み中のゼミ活動についての相談ということだったの
ですが、例の如く、話があちこちに飛び回り、結局、最終
的な着地点はたいへんノーマルなものでした。
2時間ほどかけてごく普通の誰でもがすぐに考えつく結果
なので、傍から見ていると非常にバカバカしいようにみえ
たはず。
否定したい気もしますが残念ながら当たりです。
無駄な時間を費やさせたかなと反省しています。

あえて言い訳しますが・・・ ^^;
瞬間的には、今現在のパラダイムではそうかもしれませんが、
長い時間が経過して異なるパラダイムで見るならば、この
バカバカしかった時間が、実は貴重な時間であったと、そう
思うこともありえるはずです。

20世紀を代表する科学者アインシュタインだって、「まっすぐ
とはどういうことだと、真面目に働いている人たちから見たら
はっきり言ってどうでもいいことを考えていて、それが後になっ
て相対論に結び付くわけだし、同じく20世紀を代表する哲学者
のウィットゲンシュタインとか、「人が話をする」という普通の人
だったら普通にやっていることがよく理解できず、そんな当たり
前のことに憑りつかれてしまったわけですが、どういうことから
それが「言語ゲーム」という着想に結びついたわけで、無駄な
こともたまには大切な場合もあるわけです。
もっとも偉大と言われている人たちだから、そうだったわけで、
普通の人だと「真」の無駄を実践している可能性もあるわけで、
その見極めは難しいところです。
見極めていくときのヒントになることを、次の諺
 下手の考え休むに似たり
が教えてくれていますが、それがどういうことかをここに今から
書くにはちょっと時間がありません。
覚えていたら、別の機会にでも書きたいと思います(なお、こう
いった言い訳をして、これまでも何度も書かないで済ませたこと
があるように思いますが、それ自体をもう忘れました!)。

谷との取りとめのない面談中、4年(08)松永が、3年(09)村中が
やってきてそれぞれの作業を始めていました。

しばらくして、午後から会議に出かけて戻ってきたら、松永、村中
そしてM2(10)松尾がおりました。
松永は直後帰っていきましたが、その後、松尾と話をしていたら
またまた話が無限に飛び回り、悪魔祓いとか、祈りとか、ボーズ
ビーアンビシャスとか、そういったものの持つ、ある種、哲学的な
話に話題が及び、次から次へと話を継ぎ足しつつエスカレートして
いくので、話している自身が途中で(いつ終わるのか?)心配して
いたところで、内線電話がかかってきて止めてもらいました。

学内の事務局のTさんでしたが、感謝したいと思います。m(_ _)m

あやうく、居合わせた松尾、村中に、大いなる無駄な時間を提供し
てあげるところでした。


19:45になったガリラボは、私の無駄話も静かになり、3年(09)村中、
中島、4年(08)矢田が作業に没頭しています。


無駄、無駄と書きましたが、もちろんある種の無駄は肯定的に
捉えています。
情報社会とコンピュータでも冗長性の意味を情報理論や失敗理論
などの中で熱く語っているところを、一人ぐらいは覚えていてくれて
いるはずです(願望)。




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