2012年2月15日水曜日

不確定性原理とバレンタインデー

昔々、私が20歳の頃、大学にて量子力学なる難解な物理理論を
学んでいました。
ミクロの世界を記述する理論で、このおかげで半導体デバイスは
作れるようになり、レーザー光線の存在もこれで予言され、発明
することができました。
半導体デバイスの発達のおかげで現在のコンピュータがあり、レー
ザーと光ファイバのおかげで高速通信も可能になっているわけです
から、現代の情報社会はこの理論無しにはあり得ません。
それほど重要な基本中の基本理論です。

大変難解でしたが、20歳だった私はその理論の凄さに魅了され、
テキストがぼろぼろになるほど(たぶんですけど)読みふけった記憶が
あります(自分の過去はだいたい美化するものです。ご了承を)。
そのテキストで、原子内の電子の軌道分布が見事に数学的に説明
されるのを見た時には、大げさに言えば、友達と一緒に鳥肌が立つ
ほど興奮していました(これもちょっと美化しています)。
役に立つとかそういうことじゃなく、純粋にただ面白くて、読んで
いました。

興奮話はおいておき、この理論では、最初の方にハイゼンベルク(←
物理学者です)の「不確定性原理」というのが出てきます。
ミクロの粒子の位置や運動量(動き)を測ろうとすると、光をあて
ないといけないのですが、その光によって粒子が影響を受け、
その結果、位置と運動量は同時に測定できない、ということを主張する
原理です。


両方一度に測定できないことは自体はあまり難しいことではありま
せんが、ハイゼンベルクは、このことはミクロの世界の本質であって
そもそもミクロの世界の粒子(のようなもの)は、確定的なものでは
ないのだといったのです。
ニュートン物理の世界観しか知らなった当時の私たちには衝撃
的でした。

その理論がこの世界の基本原理だと思い続けていたのですが、
なんとまあ、それが間違っている場合があるとのニュースが流れて
きて目の玉が飛び出るほど驚きました。
しかも発見者は日本人!!
かなりのビッグニュースです。
現代文明を作り上げている基礎的な理論に一部誤りがあることが
わかったわけです。
そうなると、当然ながら、長い時間はかかるでしょうが、この点を
利用した新しい技術が色々と生み出されていく可能性があります。
量子力学は、半導体を生み出すと同時に、原子力というパワーを
生み出すことに寄与したわけですから、今回の理論転換で、今後
恐らく、様々な動きが出てくるでしょう。

・・・ただし、どういったことになっていくのか、この方面から足を洗っ
てしまった私には皆目見通せません。


さて、、
話題があまりにガリラボ通信と似つかわしくないので、さすがに
ここまでたどり着いているゼミ生はいないだろうと思いますが、
続けます。^^

先の不確定性原理は、(途中大幅に省略しますが)ミクロの粒子は
特定できないという性質を持つことを主張し、それゆえ、二つのミクロ
粒子があるとき、両者は入れ替えてもわからないということが言えます
(教室で座っている双子を入れて変えても誰も気づかないのと同じです)。
そうすると(ここも途中省きますが)、入れ替えても分からないという
ことを考慮すると、そこに吸引力が発生すると量子力学の理論は予言
するのです。
理論から導き出されたその数式を見た時の衝撃は忘れられません
(ここもひょっとすると美化しているかもしれません。ご了承を)

とりあえず、交換によってその場に吸引力が発生することを、交換
相互作用といいます
(30年前のことなので間違っているかもしれませんけど・・)。

物理に陶酔していた20代から一転し、なぜか社会理論に興味を抱き、
勉強するようになって、今度はそれに驚愕することになったのが30代後半。
そこで、社会にも交換相互作用があるんだということを知り驚愕しました
(これは割合古いことでないので、美化してはいません。実際そうでした)。
もっとも、このことは、経験的には誰も知っていることです。
経験としては知っているこの「交換」というものを理論的に、社会科学
のテーマとして取り上げたのはレヴィ・ストロースという人類学者でした。
ガリラボ通信の左のカラムに「野生の思考」という本の表紙を載せていま
すが、この本を書いた人です。
レヴィ・ストロースは、世界中のあちこちで行われている「交換」というのが
物理と同じく吸引力を生み出すことを示してきました。
そのひとつとしてレヴィ・ストロースは婚姻を挙げています。
婚姻とはあるグループ(種族)とあるグループ(種族)間での女性の「交換」と
レヴィ・ストロースはみなし、それがグループ間の吸引力(親近感)として
働き、様々な社会構造を生み出していくのだと言ってます(たぶん・・・15年
前に勉強した知識なので自信ありませんけど)。
戦国時代の武将たちが婚姻を利用して社会の組み替えをしていった
ことは歴史が教えてくれる通りです(政略結婚などという言葉まであった)。

婚姻に限らず、社会では様々なものが交換されています。

品物、貨幣、言葉、・・・

貨幣の交換はその交換範囲にコミュニティを生み出しますし(地域通貨などを
考えるとこのことはよく理解できるしょう。ユーロはヨーロッパ全体をコミュニ
ティ化するものです)、また、言葉の交換(コミュニケーション)は、両者が仲良
くなっていくことも経験的に知っていることです。
(だから、コミュニケーションの切れ目も縁の切れ目、
  そして金の切れ目は縁の切れ目・・これはちょっと違うか!?)。

社会学の勉強しながら、20歳の時に没頭した物理の基本理論との類似に
非常に驚いたのですが、しかしよく考えるとそうでもないなと後で気づきました。
だって、どっちも人間が作っている理論だからです。

理論にはたぶん人間の脳の癖が反映されているんだろうと思います。
脳は、本能として、交換というものを欲している。
生まれたばかりの赤ちゃんでも、触覚などを通して、周囲(特に母親)との
コミュニケーションをとっているぐらいですから。
その癖を通して外を見るから、それが反映される形で理論を組み立てて
いる・・・のかもしれません。


村中が「先生って不思議、いったい何を勉強されてきたんでしょう?」と前に
書いていましたが、物理も勉強して来たんです。
そうした知識がなまじっかあるものだから、昨日のバレンタインデーでいくつか
頂き物をした結果、上記の固い話が脳裏に浮かんでしまったわけです(理論の
眼で見てしまう! 逃れられない人間の習性)。

頂いたチョコレートには、そのほとんどにメッセージが添えてありました。
これらのメッセージに、不確定性原理以上に感激したことはいうまでもありません。
ありがとうございました。


他の国ではどうか知りませんが、バレンタインは、(少なくとも日本では)交換という
社会制度として機能しているように見えます。

チョコレートを渡すというよりも、チョコレートというモノが、あるメッセージを運んで
きてくれる日がバレンタインデーのように見えます。
たぶん、チョコレートというモノ自体は、恐らくそこまで重要でない。
チョコレートは一種の「キャリアー」になっている。
温かいメッセージを運んできてくれる「キャリアー」としてのチョコたちに感謝するのは
もちろんですが、ここのポイントはそれに付随してくるメッセージ(明確なメッセージが
ついてなくても、そこに込められた潜在的メッセージ)が重要だということです。
 
当初から昔もチョコはそういう役割だったのでしょうが、今はさらにその傾向が強いの
かなとそう感じます(私だけでしょうか・・・)

お歳暮やお中元といったものは、昔の家を重視する社会の中で生まれた慣習だった
のではないかと思います、たぶん。
一方、バレンタインは個人間で(最近は同性間でもやりとりされている)、交換を
公にできる制度として機能し始めているように思います。

ややこしいことはおいておき、とりあえずこういった交換を通して生み出される吸引力
によって、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)は醸成されていくはずです。
バレンタインデーは当初からその意味が変容を遂げています。
それがこのまま変化していき、個々人間での社会関係資本を涵養していく社会制度
として定着していくといいのですけどねぇ。

※昨日さぼったので本日はちょっと長めに二つもガリラボ通信を書きました。
 が、こちらの方はガリラボとはほとんど関係ない奇妙なものになってしまいました。
 ご了承ください。 (疲れました。今日だけで4,500文字ほど書いたようです。orz)

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