2010年2月14日日曜日

ゼミ生へのバレタインデープレゼント

言葉の意味って常に変化していきます。
その変化の集積として社会が変容していきます。

コンピュータは以前は「電子計算機」と呼ばれていましたが、徐々に「電子計算機」の利用形態が変化していき、その変化があるレベルを越えて、変化を持ちこたえられなくなった頃にそれは「コンピュータ」というコトバに置き換わっていきました。
今から15~20年ほど前に起きたことです。

さて、本日はバレンタインデーです。
今はまだ変化していませんが、バレンタインデーについてもこれに関わる意味内容は色々と変化しているのではないでしょうか。
写真は、金曜日に嘱託をしているガリラボのOGたちからと4年生よりもらったものですが、チョコでないものが増えてきたように思います。



確か、昨年もそうでした。
徐々にチョコだけでなく交換されているものが多様化しているように思います。
バレンタインデーというのは固有名でしょうから、これが変わることはないでしょうが、その意味内容は大きく変化していることは疑いようがありません。
さらには女性から男性へという一方向性も崩れているようです。
逆チョコなるものも誕生しているぐらいですから。

時代の変化の中で生き残っていくものは変化していきます(→不易流行)。

バレンタインデーという言葉が、もしも変化を許容する能力を有するものであるならば、これは普遍を獲得するのに違いありません(たぶん)。

ガリラボとは何も関係ないように思うでしょうが、実はそうでなくては私はこんな言葉の変化に大変強い興味を持っているのです。
ずっと前から個人の変化及び集団の変化をひとつの理論としてまとめたいとの希望をもっていて、少しづつですが研究はしてきてました(現在、足踏み状態ですが・・・)。
位相幾何学(トポロジー)という数学の枠組みを使って変化を説明していくもので、これまで関係する論文をいくつか発表したこともあります。
それらの論文は、人間は、子どもから大人になるに従い、賢くなっていくわけだけども、その賢くなり方、そしてそのときの賢さとは一体どういうことを意味するのかということを、トポロジーの言葉を使って解明することに挑戦したものです。

たぶん、このことに興味を示す方はほとんどいないと確信していますが、言葉の変化やその理論が私自身の乏しい思考領域の大きな部分を占めています。
なので、私の発言は、多かれ少なかれ、この考え方に影響(支配)を受けているんです。
だから、ガリラボの活動の方向とは、間違いなくそんな私の思いが反映されています。
いつも、言語変化を扱っていきたいと強く思っています。
3年生のProduce Xで小田原チームに矢部に残る「言葉の採集」という課題を提示したのも上記の私の思いがあってのことでした。

どうも現実離れした話になってしまいました。

バレンタインに話題を戻すと、今のバレンタインデーは今の社会変化と同様に多様化に向かっているということです。
となれば、何でもよいはずです。
モノにこだわること必要もないかもしれません。
ということで、普段話をすることのない私が考えているコトを、この電子メディアを媒介にして、ゼミ生へのバレンタインデープレゼントとしたいと思います。
神聖な日でもあるので、テキトーに有り難く受け取ってください。

まあでもこんなもの、いらないですよねー
私だったらいりません。^^

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