2011年9月4日日曜日

歴史の残りかす=トマソン

超芸術トマソンというのがあります。
数年前、院(08)OBの佐藤君と街歩きについての議論を始めた頃、彼が
見つけてきて教えてくれたものです(記憶があやふやですが)。

路上観察学などをやっていた赤瀬川源平氏によって発明された概念で、意味は

   不動産に付属・保存されている無用の長物。
   創作意図の存在しない、視る側による芸術作品。

というものです。

何とも滑稽なものですが、大学内でまさか私がトマソンを発見することになるとは
思いもしませんでした。


学部の入り口を入ってすぐ、自動販売機のあるところに、写真のような仕切りが
あることをご存知でしょうか。

発見は2011年9月1日の早朝のことです。
この瞬間、私の胸がどれほど高まったか、想像できるでしょうか?

ト、、トマソン!!と思わず、口走った気がします。





見事に使い道の何もない仕切りです。
いやー、ここまで無駄なものがあると、潔ぎ良さを感じて、悪くないですね。^^;


もっとも、この仕切りの存在意味(存在している意味)はまだ今は分かる人が
多いはずです。
(もし、分からない人は、今日から早速これをトマソンと呼んでください)

イノベーションが生み出した残骸であり、技術開発が生み出した無用の長物です。
後10年もすると、ピュアなデジタルネイティブがキャンパス内を闊歩するわけで、
そうなるとこの仕切りの本来の意味を知る人はほとんどいなくなるでしょう。

その時ようやく、この仕切りは、完全な無用の長物となり、立派なトマソンとして
芸術的価値を帯びることになるでしょう。

このため現段階では、まだ未来のトマソン候補という位置づけでしかありませんが、
ガリラボのメンバーのように、ユーモアの分かる人が多ければ、将来、大ホール前の
「宙(sora)」などのキャンパス内に数ある立派なモニュメント以上に、有名な芸術品と
なれる素質をもっています。^^;

なので今は、これがトマソンと認定される時が来るまで、取り壊されないことを祈る
のみです。 ( ̄人 ̄)


トマソン候補の仕切りを見つけた日の夜、偶然なのですが、「歴史の残りかす」という話を
誰かにしていました。
3年(09)村中にした気がするのですが、記憶がもう定かではありません。


無批判であると歴史は人を縛るものになるという話で、かなり昔、その知識を雑誌から
仕入れた記憶があります。

さてそれをどこで仕入れたのか・・・・
気になり始めると確かめないと落ち着かない性格のため、記憶をただり、確かあの雑誌で、
そして確かあの辺りだったと狙いを定め、下の写真のところを調査開始。

ガリラボ内の無用の長物であり、完璧な超芸術トマソンと思われているはずので、雑誌の山の
トマソンに張りつき、冷房が切れた後、汗だくになりながら力仕事をしました。


見つけました!!!!!!!!!!!!!!!

1997年の雑誌bitの11月号。  14年前の雑誌です。

なお、bitとは、今はもう廃刊されていますが、情報科学の分野にいる学生、研究者の
ほとんどが読んでいた著名な雑誌でした。


この雑誌に、木村泉という方が「さなげ山通信」という連載記事を書かれていました。
そこに記憶にあった話が書かれてありました。

なお、記事を見つけ、さらにそこに木村泉さんの名前を見つけて、完全に興奮しました。
木村さんは、ソフトウェア分野で著名な方で、大学時代に、この方の本を研究室の先輩たちの勉強会に
混ぜてもらって本がボロボロになるまで勉強していたのです。
世間と隔離されたところで、無限に時間があるように思えていた学生時代でした。

さて、この11月号から見つけた記事にあった「歴史の残りかす」というのは次の話です。



前提(常識)に無批判に従うことへの教訓を述べたものです。

トマソンというのも、これと類似の過程を経て生まれて行くのかもしれません。


さて、先の雑誌の山は今もこうして利用価値を多少持っているのです。
トマソンなどではありません。

そのことを示したくて(無駄だから片付けなさいと言われないように)、額に汗しながら
椅子の上に乗り少し危険な発掘作業に取り組んだのでした。

そんな感じだったので、見つけ出した時に興奮は、自販機の前のトマソンを見つけた時
以上であったことは言うまでもありません。

夜中、椅子の上でひとり小躍りしてました。
トマソンのことを書こうと写真を撮っていたのに関わらず、ガリラボ通信に書くのを3日も
忘れておりました。┐( ̄ヘ ̄)┌




0 件のコメント:

コメントを投稿