2011年9月19日月曜日

稲刈り~いい加減な手入れの結果

休日と言うこともあり、今日は早めにガリラボを後にして、
自宅に戻りましたら、

  稲刈りが終わった!

とのこと。
何のことだと思ったら、2年(10)保坂が持ってきた星野村の
稲のことでした。

  6月25日 ベランダのプランタに田植え(クリック

放牧の苦行を与えていましたが、無事に2カ月後の

  8月27日 花が咲き(クリック

順調に生育しておりました。

それから、約1ヶ月弱となる今日、私の知らないうちに刈り取られていました。



稲刈りといえば、

  実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな

となると相場が決まっているはずですが、そんな表現にはほど遠く、細い細い
茎にもかかわらず、ほぼ直立不動でした。

見事に実が入っていない。 すっからかん、でした。

私のこの実験(?)で、植えれば頭を垂れるわけでないことをしっかりと証明できた
ようです。

どんなことでも手入れが必要なわけで、それがなければ、

  実っても頭を垂れない我が稲穂

となるわけです(この結果、世間では常識なのでしょうけど・・・)。

垂れない稲穂を見て、ずいぶん前に書いたブログを思い出しました。

検索したら、なんとちょと500回記念として書いたガリラボ通信でした。
昨年2010年の10月3日のガリラボ通信です(こちら)。

読んでみて、1000回記念よりもよっぽど良い内容だなと改めて思ったのですが、
この中で糸井重里さんの文章を引用しています。
再録します。


  「魚を飼うということは、水を飼うということである」。とにかく、健康な水をキープできていれば、
  魚は元気に生き続ける。魚を飼っている、なんて思わないほうがいい。水を飼っていると考えた
  ほうがうまくいく。あなたのいる環境は、元気ですか?
                     糸井重里「今日のダーリン」2004年4月23日より


水(土)を飼うことがいい加減だったわけで、そんな適当なやり方で わが稲穂が
実るわけありませんね。
 

ということで、自分を実らせるため、良い環境に自分をおきましょう!

学習理論であり、人類学理論でもある「正統的周辺参加論」も同じようなことを
主張しております。



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