2012年12月29日土曜日

大学と言おう、学生と言おう

今朝の熊日新聞のある記事に目が留まりました。
前から違和感を持って気になっていた「学校」という言い方、そして「生徒」という言い方。
言い方の変化は当然ながら無意識にせよ、何らかの意識変化が根底にあります。

何に違和感を持っていたかというと、大学のことを「学校」と呼び、高校を卒業して大学に
入学して1年生なった瞬間から学生だと思っていた私にとって、それを「生徒」と呼ぶ学生
はもちろんのこと世間もそう呼び始め、今は定着しているように思えること。
教えられる存在であった「生徒」から、主体的に問題解決していくことが要請される社会人
への移行過程として、自ら主体的に学んでいくべき存在としての「学生」というものがあった。
教えられるものから、問題解決に向かうものへとの過渡期にいる「学生」がたむろしていた
場所が「大学」というところでした。
5教科の偏差値という尺度だけによらない、様々な能力開発が行われているところでした。
それが、大学内外のさまざまな圧力が、大学を学校化し、高校までの存在であったはずの
生徒が継続されるように強制してきた。
そうした力がうまく働き、「学校」そして「生徒」という呼称が大学になっても消滅せず、生き
残ってしまっているのが現状ではないかと思います。



しかし今、社会は、これまで社会自体が意図してきた学生の生徒化という動きに対して、
逆のことを求めています。
すなわち、大学生を、生徒から、主体的に動く学生へと脱皮してもらえないか、と。
都合の良い話ですが、国内外の様々な条件の中で作られていくこうしたマクロな意見とは
個人を超えたところにあるので致し方ないところもあります。
主体的に動く!
私自身、本来そうあるべきだと思っていますので、今の社会の要請には賛成です。
ならば、昔の牧歌的な頃の大学のように野放しにしておけばいいのか、というと
そうは簡単にはいきません。
進学率が50%を超える今は、昔の大学とは質的なものが変わってきていますから。
 
では、どうすれば良いか。
よくわかりません。
ある種のダブルバンド状態に今はあります。
なので、ダブルバインドを突破し、大学という社会装置が拡張による学習を果たすよう、
今は知恵の出しどころなのです。
成果をまだ出せていませんが、前からキャリア教育の中で、そして今年はキャリアセンター長の
立場で私が、これまでずっと取り組んできたテーマです。
そうした中で、拡張による学習のための道具立てとして、キャリア形成論、キャリアフォリオ、
CCA、MORE、学生GP制度といったものを考案し大学内に導入してもらったり、
コミュニティ作りを画策したりと色々とやってきました。
その中で生まれたのがMOREという学生団体ですが、その最初の世代がもう4年生。
この3月で卒業です。あっという間でした。

主体的に動いていく学生というと、具体的イメージとして3年(10)保坂が私には思い
浮かぶのですが、失敗しながら彼のように動いていく人材とはどうやっていけば育つの
でしょう。
色々と道具立てをしてきても、どうにも、いまだによく分かりません。
(もっとも、保坂との出会いは、キャリアフォリオが縁だったので、役には立ちました!)

よくわからないので、せめて「学校」や「生徒」という単語を禁止語にしようと、そう
思います。
コトバの変化は意識の変化を伴うはずです。
だから、何もしないよりはましなはず。
 
ガリラボは「面倒くさい」という言葉を使うことを禁止しています。
これに加え、「学校」「生徒」も2013年には禁止語のリストに書き込みたい。
自分は使わないことを意識するのはもちろんのこと、周囲がそういう表現を使ったら、
あえて訂正していきましょう。
主体的ということを、自覚的するために、意識していくために。

 

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