昨日(2月12日)、下の名刺(左)のヒミ*オカジマさんの講演がCPDセンターで
ありました(ちなみに右の白いのは普通の名刺サイズです)。
私と数名のゼミ生(M1(13)坂口、4年(10)田中、吉村、3年(11)小山)で聴講して
きました。
この日聞いたヒミ*オカジマさんの講演は、次のTEDに凝縮されているかと思います。
言葉が現象を創り出すということ。そして、食文化について言えば、人は、「モノ」を
食べているのではなく、「コトバ」を食べているのだということ。
まったく同感でした。
ヒミ*オカジマさんの話を聞きながら、言葉はカオス的状況を分節化して関係性の中で
カタチを創り出していくといったソシュールのこと、またサピア=ウォーフの仮説で知られ
ているように言葉が世界観に直接影響を与えていることなど、昔、それを知った時にかな
りの衝撃を覚えたことを思い出していました。
そして、さらにその昔、学生であった時代、その頃に出会った次の本の影響も私には
大きかった。
数理の散策という本。1974年出版。40年前の本です。
高橋秀俊というわが国のコンピュータの草分け的方の本です。
数学について天才的な能力をもっていた方でした(だったようです)。
高速フーリエ変換(FFT)という、現在、CTやMRIで不可欠なアルゴリズムの第1発見者に
少しだけ遅れて同じものを発見されたようで、大変惜しいところだったようです。
(もし高橋さんが最初だったら、わが国に莫大な富がもたらされたのに違いありません)
さらにはこの人は数学に強いだけでなく、文章も大変うまく、エッセイの人気は絶大で、この
方の教科書は魔法がかかっているかの如く面白く、理工系の学生たちはかなり読んでいた
ように思います。(物理学汎論というのは私にとってはバイブルのような本でした)
さて、「数理の散策」というこの本(今も大事に保存してますが)の中に「名前の役割」という
エッセイがあります。
学生時代に読んで大変衝撃を受け、今でもそれを鮮明に覚えており、だから35年も捨ても
せずこの古ぼけた本を持っているわけです(今、直に手にしています)。
高橋秀俊によれば、名前は概念につけるものというのが普通だが、実はその逆も多く
あると言います。
まず名前がつくられる。
、と。ここが大事です。
ヒミ*オカジマさんもここの大切さを強く話されておられました。
そして、高橋は続けます。
もちろんその名前には漠然たるイメージが存在するはずではあるが、厳密な定義
などはもちろんない。
そこで、その名前に合うような概念が次第に形成されて行くという順序である。
これなどヒミ*オカジマさんが話されていたことそのものでした。ヒミ*オカジマさんは
そのことを
言葉が現象を作る
と言われてました。高橋は上の文章にこう続けます。
しかも、その内容は時代の進展とともにどこまでも変わって行くだろう。
そうなると名前は単なる符牒などというものではなくて、それ自体の個性をもち、
一人歩きする生き物のように見えてくる。
この辺りでもうゾクゾクしていたのですが、そういった事例として我々エンジニアの
分野で出てくる「オートマトン」という言葉を例に高橋は挙げていました。
さらに、また興味深かったのが、
サイバネテッィクス
という名前のこと。これって、要するに制御のことなのですが、この言葉を作って、
書物によって広めたN.ウィナーという学者の偉かったところは、
この名前の存在によって、通信制御に関係したさまざまな方向の研究者に
連帯感が生まれ、それによって学会、特に比較的保守的ともみられたる方面の
学会に新風が吹き込まれたのである。
ということでした。確かに制御工学(コントロール・エンジニアリング)では
まるで魅力を感じないですものね。
そして名前(言葉)の役割について色々と考察した最後に高橋は、こうまとめます:
名前は、溶液から結晶を析出するときの核のようなものである。
すぐれた名前は、すぐれた指導者と同じように、世の中の人々を
その周囲に結集させる。
このエッセイに、35年ほど前に衝撃を受けてました。なので、言葉の大事さには
その頃から気づかされていたのですが、ただし気づきと実践は全く違います。
ノホホンと普通の言葉しか使わずに、気づけば、35年が経過しておりました。orz
ヒミ*オカジマさんは、直接尋ねましたら、小さい時から言葉のことを考えていた
とのことでした。
この時点で気づきは一緒だったのですが、それを具体的に実践していくパワーが
まるで違った。それが大きな差につながっていくわけですね。
具体的に動くことの大切さ。わかっているけど、動けません。残念ですが。(T_T)
貴重な話を聞かせてもらい、実践をしていかねばと思いつつ、昨日からの今日。
もうすでに遠い記憶になってしまい、特に昨日の決心もすでに実践はしておらず。。。orz
人間は弱いものです。
最後に、質問をした4年(10)田中と記念撮影をしてもらいました。
田中の質問は「私の前世が見えるでしょうか?」だったと思いますが、ヒミ*オカジマさん
の回答はもちろん大変論理的なものでした。
あなたが使っているコトバの中にそれは凝縮されているのだ、ということでした。
自分がどういった言葉を使っているか。
注意深くありたいですねぇ。
人生は自作自演。
あなたは、どれぐらい言葉を大切に生きていますか。
ヒミ*オカジマさんの最後の方のメッセージです。
自らが言葉を紡ぎだし(まず、名前がつくられる)、そして、その言葉の作る未来に
きちんと向き合っていこうという意味かと思います。
忘れないようにしっかりとメモはしておきました。^^;
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