添削地獄から解放され、プライベートな用件も無かったので(家人のお願いを
断ったのですが)、久々にいつもの日曜日の朝を迎えました。
日曜日の午前中は勉強(インプット作業)に決めており、今日もそのつもり
でしたが、PCにトラブルが発生。
その対応をしていたら、結局、予定していた勉強はほとんどできず、辛うじて、
「教育工学研究の方法」なる書籍の2章を読んで終わりでした。
最近、添削ばかりしていて、未知のこと(つまり、頭を使うこと)についての
入力作業をしてなかったので、なかなか頭が働かない。
愕然としてしまいます。
使わない部分は退化していくというのはやっぱり真理ですね。
勉強のための脳もあっという間に退化してしまうことを実感しました。
さて、今日は特に書くこともないので、今日知った知識をダラダラと書いて
終わります。
読んでいた本によれば、研究というのを次の切り口で分類するやり方もあると、
書いてありました。なるほどと感心しました。
(1) in vitro:厳密に条件がコントロールされた実験室での研究
(2) in vivo:ある程度条件統制しつつも、本来適用する教育の文脈で研究して
いくもの。通常は統制群を設ける。
(3) in situ:実際の現場での行う研究で、デザイン実験とかアクションリサーチが
これに相当する。
なんだかややこしいです。
が、ちょっと我慢して読んでいると、(1)が一番クリアに実験結果がでるタイプの
もので、だから、白黒はっきりつけたい、そして客観性というのを馬鹿のひとつ
覚えのように繰り返す人たちには好まれるやり方だなと思いました。
これを好む人たちは、論理実証主義という立場をとり、誰がどうやろうが同じ結
果が得られるという立場を取ります
(昔の私はもちろんこっちの世界の人間でした)
それに対して反対の極にある(3)になると今度は関与している条件(従属変数)が
多すぎて、見ている結果が何だかよくわからないことが多いのです。
そこでは白黒つけるというのは無理です。
だいたいが、研究者が介在することで状況が変わってしまうこともあるのですから。
そういうわけなので、(3)の状況で研究していく場合は社会構成主義という立場を
取ることになります。
(現在の私は完全にこっちの世界の人間で、論理実証主義に100%染まっている
ような人にはできるだけ近づかないようにしています^^)
さて、どうしてこんなことを書いたのかというと、ガリラボでやることの多くは、
ほぼ(3)の状況にあることを伝えようかと思ったからです。
ソフトウエアを作るというのはコンピュータ内という実験室でやればいいので、
(1)の立場に近いと言えます。
が、ガリラボはそんな温室のようなところではやりません。
ガリラボのゼミ生には、社会的場に身を置き、そうした野生の環境で鍛えていって
ほしい。
世の中、白黒だけで片付くようなものではなく、多様な価値がある中で、自分たちに
必要なものを作り上げていくことが必要で、それにはかなりのかなりの知力と体力が
要求されます。
ただ、この二つの立場はかなりの違いがあるので、相互にはなかなか分かり合えない。
だから、(1)の立場の人が多い中での、ガリラボの研究発表はなかなか大変です。
結論はありませんが、そんなことを思いながらの読書でした。
都知事が決まりましたね。
in situの状況でどういった感じに変化していくのでしょう。
楽しみですね。
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