Facebookには書いたことですが、こっちにも同じことを書いてみたいと思います。
浅田真央選手に関することで、わが家でのドタバタでした。
ソチ五輪、女子フィギュアスケートのショートプログラムで、浅田真央選手は
16位という結果でした。
その結果を受けて、わが家内は大変でした。落ち込み、「もうフリーはとても
見れない」「やっぱりショートプログラムの前に、健軍神社に行って祈ってあげ
ておけがよかった」とか、わがことのように悔やみ、それはそれは大変でした。
それで、その姿を見て思ったのです。
きっと、日本全国で似たようなことが起きているのだろう、と。
浅田真央選手にわが家内の様子が見えるわけはないでしょうが、しかし、
わが家内ような人たちが作り出す期待は絶対に感じている。
日本全国にいるわが家内のような見えない人たちの期待が足し算されていき、
それが凄まじいほどの期待となっていき、わがゼミ生と同じぐらいの年齢の浅田
選手にプレッシャーとして圧し掛かっていったのに違いありません。
ソチに派遣されたどの選手よりもきっと異常に大きなプレッシャーの中での
演技だったでしょう。
人気者は辛かろうなと思いました。
生でとても見れなかったわが家内。朝のニュースで、フリーでは自己ベストを更新し、
6位入賞となった演技のフィニッシュで涙する浅田真央選手を見て、号泣。
(出典)
メダルを取ったわけでもないのに、この最後のシーンでどれほどの日本人が涙した
でしょう。
メダルはなくても、これほどの感動を日本中にもたらせるというのは、信じがたいこと
だと思います。
忙しくて、ソチ五輪はほとんど見ていませんが、浅田選手の最後のシーンだけは、
強烈に目に焼き付きました。
一生懸命にやっている姿はやっぱり美しい。
美しさとはやっぱり動的なものだと思いました。
ところで、浅田選手でなくて、あのシーンがほかの選手だったら、日本国内はどういった
反応だったでしょう。
ここまでの反応はなかっただろうと思います。
冷静になって考えると、私たちは直接浅田選手に会ったことはありません。
(当たり前ですけど)
でも、なんか、感動を与える人物として認識している。
これは、こうした感動を生み出す土台となるイメージを、メディアがこれまでに作ってきた
からだろうと思います。
そうしたことを考えた時、メディアは、こうした像をどうやって作り上げていったのか、
気になります。
メディア論に関係する研究として、良いテーマになるかもしれませんね。
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ガリラボの様子
今日のガリラボは、昨日に続き、朝から2年(12)尾堂、3年(11)藤本がやってきて
作業をしておりました。
特に今日はMOREの活動やチームJob'sのメンバーが頑張っておりました。
それ以外にはM1(13)坂口とのゼミをやり、坂口と4年(10)吉村とで来週の荒尾の
先生方向けに行う講演の打合せを行いました。
今日はこれからM2の二人の修論完成祝いです。
これまでの苦労をじっくりと振返ってきたいと思います。
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