2014年2月16日日曜日

議事録を取る意味

日曜日の今日、ガリラボでは興津会10周年記念に向けて、プロジェクト会議が
開催されたようです。
場所は大学近くの夜CAFE。
ここでランチをとりながら卒業生8名、在学生6名の合計14名のガリラボ生が
集合し、賑やかな時間を過ごしたようです。
速報としてその様子をOB(05)山口が直接そしてメールでも教えてくれました。
この調子で本番の11月22日がピークになるような形で流れができていくと
いいですね。

日曜午前中は私はインプットの時間と決めているので、今日は読書をしておりました。
というと格好良く聞こえるでしょうが、実際には、M1(13)坂口や4年(10)吉村との
勉強会で使うテキストを読まざるをえない、切羽詰まった状況なだけなのですけど。
坂口とのゼミで使っているのはかなり軽めの本ですが(重さではないですよ、
分かるでしょうけど、念のために)、今日読んでいたところで興味を惹いたのが
議事録についての話題。
ガリラボと結びつく内容だったからです。
このテキスト(博報堂の人材育成グループによるもの)によれば、新人をOJTで
育てていくときのひとつの手法として、議事録をとらせるのは有効だというのです。
そこには次のように書かれています:
  議事録や取引先とのコンタクトレポートは、打ち合わせで話されたコメント
  そのものを記録するだけのものではありません。
  仕事の全体像について、その場や参加者間やある特定の人の意図や発言の真意
  までが理解できていなければ書けないはずです。
いかがでしょうか。
全くその通りですね。
これって正統的周辺参加の理論に非常に忠実なやり方であろうと思います。
周辺的な仕事を通して全体像を理解していくことは、そのコミュニティへの十全的
参加への必要条件になるだろうからです。
もっとも誰でも議事録を書けば十全的参加への軌道に乗れるものでもありません。
上で指摘されている通り、ただコメントを記録するのでは駄目なのです。
良い議事録とは、会議や打ち合わせの意味付けが出来ている。
そうしたことが出来るようになると、いつの間にかそのコミュニティでの重要な
役割を担っていくことになるでしょう。

ガリラボではチーム繋が、そしてその前に観光案内板改善プロジェクトのチームが
議事録を作るという文化をガリラボに誕生させてくれました。
そのおかげで、ガリラボ内での色々なチームの打ち合わせが、議事録として
残るようになりました。
それは私への報告も兼ねたものです。
こうなると、ガリラボというゼミは教員が一方的に知識を伝授するタイプの
良く見かける普通の大学のゼミとは全く違うことがわかるかと思います。
私自身が学生から多くのことを学んでいる。
知識が双方向的であるし、さらに循環もしている。
かなり複雑な構造をしているコミュニティになっております。

ところで、最近は2年生(12)が凄いと感じています。
卒業の時まで持つかなと思うほど、ゼミの打ち合わせやMOREの打ち合わせに
ついて緻密な議事録を取り、記録として蓄積していってるのです。
もちろん、まだ単に記録するだけに終わっているところもありますが、しかし
そこはトレーニング。
繰り返していれば、徐々にうまくなっていくはずです。
そうした継続がガリラボの全体像を知っていくことにつながっていくでしょう。
この意味は非常に大きいのです。
ゼミ生諸君、成長したかったら、真剣にこの意味を考えた方がいい。
単純に年齢が上がっていけば、ゼミというコミュニティの中核になっていけます。
だけど、そうした参加は、十全的参加とは言わないのです。
そうした参加の形は、成長とはあまり関係ありません。

新人であるこの活動的な2年生がガリラボというコミュニティに徐々に参加を
深めてくることで、ガリラボは大きな変革を受けていくでしょう。

そんな予感を昨日のガリラボ通信2014/2/15に書いたのでした。
実は昨日のガリラボ通信の内容は、2年(12)田中ゼミ長からのゼミ会議の議事録を
もらったメールへの返信として、2年ゼミ幹部に事前に送ったものでした。
即座に返信はなかったですが、しばらくして驚きました。
ほぼ全員が私の長い、長いメールに対して、自分たちなりの考えを添えて同じく
長いメールで返信をしてきたからです。
新しいステージに向かうことに対し、ワクワクするとそれぞれが書いていました。
それらを読み、非常に愉快になりました。
彼らに十全的参加を促しながら、一緒に、ガリラボというコミュニティを新しい
形にしていこうと思いました。
愉しみでなりません。
頑張るぞー


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