2014年2月20日木曜日

10ゼミ生→業務連絡&ガリラボでの日常の風景

【業務連絡】4年生(10)へ。
12月に受けたPROGの結果が戻ってきました。ガリラボテーブルにおいて
あります。各自、自分のを持ち帰ってください。

何人かの結果を見せてもらったら、5月からそれぞれ結果が向上している
ようでした。
やっぱり卒業研究に取組んだ効果は大きかったのではないかと感じます。
(この結果が、単に加齢効果でないことを祈っています 笑)

さて、今日はガリラボ一番乗りは3年(11)藤本と2年(12)尾堂。
8:40にはやってきました。
何を始めたかというと、2人での勉強会。
心理学を勉強していました。
これまで学んできたことを定着させるために復習をやっているということでした。
自主的に、卒論でもないのにこういった勉強会を開くの場面に初めて遭遇した
気がします。
体を使う(身体がモノ言う活動のための)勉強会や必要に迫られての知的な勉強会は
これまでも多くありましたが、単純に知的欲求からの勉強会は見た記憶がありません。
ガリラボの新しい文化が生まれる兆しのように感じました。
知的・・・いいことです。だって、「大学生」ですから。

知的続きでもうひとつ。
上の二人に遅れること1時間半。重役出勤で10時に4年(10)吉村がやってきました。
本当は今日は上天草にチェンジラボで出かける予定でしたが、急遽キャンセルになった
ため、この日は大学内であった講演(10:20~11:50)に出かけてきました。
吉村が院生になったら関係することになる学習についての講演です。
後援者は東京大学のKALSの立ち上げにかかわった方です。
KALSは、ラーニング探求塾で現在勉強しているワークショップデザイン論の
著者山内さんが関わったものでもありました。
そんなこともあり、二人でアクティブラーニングについて聞きに行ったのです。

そうしたら驚きました。
手法のひとつとして、ジグソー学習法が紹介されたのです。
実は、来年度担当する新しい科目で、ちょうどこのジグソー手法を組み込み、それを
ワークショップと併用する実験的取り組みを行う計画で、そのシラバスを今日完成さ
せ、関係者の承諾を得たばかりだったからです。
偶然とは言え、びっくりでした。
さらに、その科目のワークショップの部分は、一緒に聴講した吉村にこれから具体的な
デザインをさせていくつもりなのです。吉村の研究の一環として。
偶然とは重なるものです。


午後、中コンに務めるOG(06)松尾が久々にやってきて長時間話をしました。
学内で稼働を始めた情報システムに愛称を募集するのに、どういったやり方をやれば
よいかについての相談でした。
久々に長時間(と言っても90分ほどですが)松尾と話をした気がします。
いったん、異なる空間で過ごすようになると、なかなか用事でもないと長時間話を
することはありません。
空間を超えてやって来るには、それを乗り越える十二分な理由が必要になるからです。
このことは大変大きい意味を持っています。

用事もないのに一緒の空間にいるというのは、実は非常に重要です。
なぜ重要かというと、その空気間の共有は、無駄話を可能にする必要条件だからです。
(ちなみにここでの無駄話とは、創造的会話の意味で用いています)
上記条件があるときに、新しいアイデアは生まれる。
今日は90分も話をしたので、それなりのアイデアが生まれましたが、しかしそれは
用件の枠組み内のこと。
枠をはみ出し、非常にワクワクするものが生まれていくにはどうしても無駄な時間を
一緒に過ごしている空間が不可欠となります(もちろん、それは必要条件で、十分
条件ではありませんけど)。

そんなことを考えていたのは、来週、院OB(11)白樫から依頼された荒尾市の先生方への
講演内容をまとめてようとしていたからです。
その講演では、個人がそして組織が成長していく条件を話そうと思っていますが、
少なくともガリラボでのその条件とは何気ない日常を共有することだと思っています。
これが出来ていれば、アイデアへと結びつき、ワクワク(プレイフルな)状態にもって
いけることが多い。
いやゆる、糸井重里事務所状態になれます。
そうした日常が消失すると、途端に知的なプレイフルさは失われていく。
(同じフロアでありながら、ガリラボと院生室という空間的分断はことの外、影響は多きい。
 先日、M2(12)大塚とそんな話をしたのでした。ガリラボと院生室の空間的分断は、レイブと
 ウェンガーが例に挙げていた、周辺参加しているのに、学びが起きない、肉屋の職人さんと
 同じ状況になっている)

日常の中に、実は、刺激の種は埋めこまれている。
種をどうやれば発芽できるのかは不明ですが、とりあえず日常の共有以外には種は生まれにくい。


今日、ガリラボの、そしてもうすぐ見られなくなる10ゼミ生の日常を撮影しておきました。
(講演のパワポに使うためです)
以下、日常の風景を少しだけ切り取り、その意味を(不完全ながらですが)考察してみました。
 
お昼頃♪ みんなそれぞれに作業してます。

夜♪ 豆腐を食べる4年(10)清原。


冷蔵庫からチョコを取ろうとしている4年(10)辛島。


これは(写真では分かりにくいでしょうが↓)、白樫に依頼された講演で話すよう
指示した吉村が、パワポがなかなか作れず(依頼した私に)怒っているところです
(記憶がもう定かでないのでひょっとすると怒っているのは私に対してではないかもしれません)。

こんな時間の共有が次のアイデアの種になっているのではないでしょうか。
こんな瞬間が、新たなコミュニケーションの契機になると思うからです。


改めて思うことは、ガリラボという空間で、異なるタイプの人が「ただいる」ということで、
何かのきっかけである時に摩擦のような事態が起き、それで発生するコミュニケーションの
摩擦熱でアイデアの種が生まれているのかもしれません。
こうした状況に至るのは、用事があってやってくるのでは難しい。
用事に縛られるから、<偶然の摩擦>を期待できませんから。
偶然に生まれる摩擦を待つための無駄な時間がどうしても必要です。
偶然生まれたその種を発芽させるのに成功した時、ガリラボは非常にプレイフルな状態となり、
それに参加するゼミ生は急激な成長に向かうことなる。
そのとき、ここは高度なレベルの学びのモードに入ります。

時間的な無駄は多いですが、ワクワクするアイデアを待つための時間として、それは
長期的にみれば決しては無駄な時間にではない。
逆に、ひょっとすると短期的な効率は、長期的にみると非効率であるかもしれないのです。
その見極めは非常に難しいですけれど。

空間の共有、時間の共有が、新たなプレイフルさを生み出す必要条件だと、講演準備を
しながらそう思いました。
ただし、十分条件にするには、何が必要になるのでしょう?
気になりますが、良くわかりません。(`□´)?
 

1 件のコメント:

  1. ガリラボ通信がなくならず、
    今は安心しています。
    昨日に谷や村中と諸々進めました。

    ガリラボ通信はあるだけで善いのです。

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