2018年4月22日日曜日

GPAでは表現できない能力について

ここ最近、APUという大学が気になっています。
気になり始めたのは、ネットライフ生命を創業された出口治明氏が学長になるという
ニュースを知ってからです。
出口さんによって大きな変化が起きるのでしょうが、それ以前に、こういった方を
学長に選ぶAPUという大学の気質のようなものが気になりました。

いくつかAPU関係の本を取り寄せました。その一つが「混ぜる教育」というもの。
斜め読みですが、APUはかなり多様な方が関わられ、出来上がった大学なんだという
ことがわかりました。
学生がダイバーシティに溢れていることはもちろん知っていましたが、それを作りだ
す人たちがダイバーシティに溢れている。そんな大学のようです。
多様性を作り出している一人に、なんと糸井重里さんがおられ、糸井さんがこの本に
寄稿されています。
APUについて書かれた糸井さんの文章ですが、その中に人の能力についての記述に
目が留まりました。
これまでの偏差値で計れる能力は「情報処理能力の良さ」であり、こうしたものは
最近よく書いているAIといったコンピュータソフトに置き換えられるものです。
糸井さんは、本当の「頭の良さ」とはそういうものではないのだと主張されます。
私もそう思います。
そうした「頭の良さ」がないと出来ない仕事として例えば「接客業」を紹介されて
います(これも私もそう思います。高レベルの接客は頭が良くないと出来ない!)。
接客業のことを糸井さんはこう定義されています。

  人間は、それぞれがいろいろなことを考え、絶えず活動しています。
  そんなばらばらの人間という存在に対して、ひとつの目的を提案して
  つながってもらい、サービスを施すのが接客業です。

接客業のすごさに気付かされたのが渋谷の「109」だったそうです。
20代の店長が会議に出たり、仕入れをしたり、アルバイトの人事管理をやったり、
お客さんのトラブルを処理したりとありとあらゆることをこなしている。
お店を切り盛りしている、すなわち経営をしている姿をみて、こういうことは頭が
良くないと無理だと書かれていました
そして、自分の会社である「ほぼ日」にはこんな人材が欲しいとも書かれていました。
こんな「頭の良い人」は、大まかにだけど、視野に入ってないところまで全て把握
しているのだとおっしゃいます。
ガリラボのゼミ生でも何人かが思い浮かびます。

さて、こんな能力はどうすれば獲得できるのでしょう。
よくわかりませんが、なんらかのリーダー経験は不可欠ではないかと思います。
最近よく書いているリーダーですが、大事だと思うので何度でも書きます。^^

リーダー経験は若いうちにしておくべきです。
でも、リーダーを経験するのは非常に大変です。だから敬遠する人も多いのですが、
そこをなんとか我慢して、経験しておいた方いい。
リーダーで培う能力は、偏差値やGPAでは計れない能力が含まれている。

APUではそういった能力が育っているのではないかと糸井さんはおっしゃてました。
APU、恐るべし。
県立大でもそうしたものが育成できるようにしていきたいものです。
「もやいすと」がそれだと思いますが・・・

上記とは全く話が変わりますが、糸井さんの話で興味深かったこと。
糸井さん、学生運動盛んな頃に大学を出ておられる。
大学は嫌いだったとおっしゃいます。
だから、というわけでもないでしょうけど、コピーライターをしている頃に「大学の
先生をやらないか」と言われたら、もうおしまいだと思っていたとのこと。
どういうことかと言うと、何かの道のプロが大学の先生に誘われるというのは、本業
では過去の人になっていると言うことではないか、と。
自分は、そんなことにならないよう、その道で油断せずに仕事に邁進していらした
とのことでした。
なるほど、だから糸井さん、ずっと感性を失わずに仕事をされているのだなと
思いました。
大学の教員についても同じことで、例えば京都大学の山極総長は、総長選挙の際に、
「この人に投票するな、してくれるな」という運動が起きたそうです。
理由は、この方が嫌いだからとかではありません。
この方が、総長とかになったら、世界の霊長類研究が足踏みしてしまうという
危機感を感じた人たちの運動だったようです。
私も、そんなプロになってみたいものですが、さすがにもう無理です。
なので、その道のプロになるのはゼミ生に託したい。
プロになっていくための足腰と気持ちとをガリラボにいる間に鍛えていって欲しい。
 
 



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