2012年4月7日土曜日

時間を管理できる自由~今朝の「読者のひろば」の記事から思うこと

今日は大学の入学式です。
昨日オリエンテーションがあり、学生証をもらい、実質的には一足
早く本学学生となっているのですが、改めて入学を許可するという
本日の儀式を経て、晴れて正式な「学生(学びを生業にする人?)」
として内外に向け周知されます。
儀式とはそういう意味で、所属するコミュニティ内外に向けて、この
人たちを正式な住人とみなすことを知らせるメディアとしての色彩の
強いイベントです。

さて、その入学式の朝、次の投稿を読者のひろばで見つけました。
少なくともガリラボの学生にとっては馴染みのある方かと思います。
なので、ここに掲載されてもらっても怒られないだろうと判断し、載せ
てしまいました。^^
入学ではなく巣立ちの儀式のことを話題にされています。



安原さんが言われるように、先生って、先生を職業とするわれわれの
ような立場だけを指して狭く考えてしまうと学び自体を狭めてしまうだろうと
思います。
内田樹が「先生はえらい」という本で、要するに自分がすごいと思った
人が先生なのだということを書いていますが、その通りかと思います。
先生ということを職業としている私でも、学生であることを生業にしている
学生に凄さを見つけることがよくあり、そういうときは、その学生の行動を
よく観察し、勉強させてもらっています(このとき私が学生で、その学生が
師になっている)。
学びの理論では、新参者は熟練者から学ぶのはもちろんですが、熟練
者も(自分では気づかないかもしれませんが)新参者から学ぶことが
指摘されています。
学びたいという意志を持った「学生」になった瞬間、師とは実は至る所に
偏在することに気づくでしょう。
授業料を払い、その対価としてのサービスを職業としての師からもらうのだと、
乾いた知識伝授だけに囚われているとそうでもなくなります。
そうしたことに囚われている人たちは、狭い意味での「わが師の恩」を卒業
式で歌うことになるはず。

それと、安原さんの記事に、
  学生時代と違って、自分のやってきたこと、やるべきことを可視化
  しないと、何となく1年が過ぎてしまう。
と書かれています。しかし、これは社会人だけに限ったことではないですね。
学生のほうがなお更ではないかと思うのです。
特に生徒から学生へと変わった大学生だと特に大切です。
よく生徒と発言する人がいますが、これは間違っています。
(社会人がよく大学生を生徒と呼ばれます。社会意識の変化=幼稚化に
がっかりすることが多い昨今です)
この違いは大きく、その違いをしっかりと理解するべきです。
時間を管理できる自由を手に入れることができるのが学生=大学生時代です。
だからこそ、安原さんの上の記事の部分は、学生たちにこそ強く当てはまる。
  学生は時間を自由に管理できる人生で唯一の時代。
  だからこそ、自分でやってきたこと、やるべきことを可視化していかないと、
  何となく4年間は過ぎてしまう。
こうなりかねません。

今日は入学式。
安原さんの記事はぜひ新入生に読んで欲しい。

このネタ、キャリア形成論の授業などでも使わせてもらおうと思います。^^

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