2018年6月25日月曜日

最高の生徒でありたい

サッカーワールドカップの日本vsセネガル戦は深夜でした。
朝のニュースで2-2の引き分けだったことを知りました。
私は熟睡しておりましたが、深夜、日本中が沸いたようですね。
その影響で、今日は眠い目をこすりながらの人が多かったのではないでしょうか。
スポーツ(国際的な場でのスポーツ)というのは国というのを意識し、
一体感を醸成するのに非常に優れているようです。

月曜1限目に1年生の授業を担当していますが、徐々に大学に慣れてきて、月1限
目は気だるい雰囲気を醸し出すようになってきている気がします。
その上に今日はワールドカップの影響もあったでしょうから、いつもよりもどんより
した雰囲気が漂っていました。
それでも1年生なので居眠りしている学生はほとんどいないのですが、私が話を
しているのに、ほぼ誰も鉛筆・ペンを持っていない。
何も持たずに、ただ前だけを見ているのです。

思わず、日曜日の朝、自宅で歯磨きをしているときの1歳半の孫娘の様子と
比較してしまいました。
歯磨きしている私の様子を下から見上げつつ、じ~~と、じ~~と非常に集中して
眺めているのです。
動作を綿密に観察をしているようでした。
その姿に思わず、私の方が襟を正し、真っ当と思われるスタイルで(?)歯磨きを
続けました。
 
前者の1年生については、思わず、
  ペンは持たなくていいのか。
と促しました。そしてその後に、人の話を「聞く」という姿勢(態度)のこと、その
ことが、自分にもたらす影響についても話をしました。
1歳半の孫娘には話をしても無意味ですが(笑)、大学1年生は話せばわかって
くれます。

話したのち、何人かの学生は非常に話しやすい雰囲気を作ってくれました。
授業の良し悪しは、教員だけが作るのではなく、教員と学生との協働作業にほか
なりません。
何人かの気の利いた学生たちのおかげで話をするのが非常に楽になり、同じ時間の
中で色々な話題を提供することができました。

これは別に授業だけに限ることではなく、普通の生活のなかで必要な態度なんだと
思います。
ペンでメモするのはもちろんいつもは無理なわけですが、そうでなくても、熱心に
聞こうとする態度によって、周囲を良い先生にしていける。
私たちの周囲には、私たちが知らないことで満ち溢れています。
学生から学ぶことも多々あります。何が死語になっているのかは学生以外から
学ぶことは不可能だろうと思っています。
映画「舟を編む」の辞書編集者の方々が、若者向きのお店で女子高校生の会話を
じ~~と非常に集中して聞いておられた姿を思い出します。

謙虚になって「いつでも最高の生徒であること」で学びが深まっていくはず。

学ぶ側であることを忘れたとき(たとえばペンが持てる状況であってもペンを
持たないでいるとき)、学びから遠く離れてしまうでしょう。
そのことが自覚できなくなったら・・・、実に恐ろしい限りです。^^;
 

書き始めたらゼミのこと以外で長くなってしまいました。
今日は15ゼミ会議、16ゼミ会議と続け、夕方にM2(16)山口とのゼミ。
その他にも色々とあり、今日もほんとに慌ただしい1日でした。




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