昨日のエントリーで「倍返し」のことを書きました。
昨晩の「半沢直樹」最終回はきっとすごい視聴率だったでしょね、きっと。
ハラハラしながら見ていたら、ハッピーエンドと思いきや、最後の最後でどんでん返し。
次回作について含みをもたせる終わらせ方でした。上手ですね。
さて、今日はインプット作業をほとんど行わず、早朝よりずっとアウトプット
作業(パワポづくり=5回分の授業用で全部で150枚ほど作りました)ばかりで、
アウトプットばかりで瑞々しさを失った脳はすっかりと疲弊し、もはやガリラボ通
信に載せるような情報は逆さにふっても出てきそうにありません。
どうしましょう・・・
アウトプットばかりで、インプットしない(=勉強しない)とこんなにも疲弊するの
ですね。
ということで、M2(12)大塚に紹介してもらったけれど、まだ開いてもいない糸井
重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞の本」というのが目の前にあったので開いてみた。
目次をさっとみると「東大立花ゼミと出会う」というのが69頁にあるようだ。
そこを読んでみた。
当時、立花隆さんは東大の客員教授をされていて、確か「人間の現在」という
テーマで話をされていたはず。
その講義は、受講していた学生たちが当時まで便利なツールが何もない中で
インターネットで公開していたのです。
学生ボランティアが(今から考えると信じがたいことですが)HTML言語だけを
使ってWebページを作っていたのです。
立花隆の講義をほぼリアルタイムに近い状態で読めるなど(しかも無料で)
あり得ないので、私は毎週公開されるたびにWebページを熟読し、全部、プリント
アウトして今でも持っています(ガリラボにおいてあります)。
もう20年弱前になるわけですが、今で言うネット講義を受けていたようなものでした。
大変勉強になりました。
このときの立花ゼミのプロジェクトとして行われた「二十歳のころ」にもすごく興味を
持ち、公開されるたびに熟読していました。
東大の学生が色々な人(ほんとに多様な人)を訪ね、その人の20歳の頃のことを
聞いてまとめていくというもので、色々な人間模様が描かれていて非常に面白
かった。
(「二十歳のころ」についてはガリラボ通信2012/2/10でも書いています。参考まで)
いつか、「二十歳のころ」のような企画をガリラボでもやってみようと思いつつ、それから
幾年月。まだ実現していません。
(実は、あるときのゼミで提案したのですが却下されました。涙)
さて話を糸井さんに戻します。なんと糸井さんも立花ゼミが公開するWebページを
読んでおられたんですね。本の71頁にこう書かれています:
ぼくは、東京大学・立花ゼミのサイトを、ひたすら読み続けることになった。
有名無名いろいろな人を学生がインタビューしてまとめた「二十歳のころ」という
ページは、とくにわかりやすくて興味深かった。出版社の記者でもなかなか会えない
人々が、学生たちの取材を受けていた。
これを読み、私も糸井さんと同じことをやっていたんだなと、そう思いました。
同時代の刺激を受けてきたんだなと、そう思いました。
ただし受けた刺激を転換し、成果として結び付けていったレベルは全く違っていた
わけですけど・・・(無念)。
糸井さんは立花ゼミとかかわる中で新しいメディアについて考えていくのですが、
その中で大学と現場とはやっぱり違っている、と。日頃私が感じていることそのもの
ですが、糸井さんはそれをこう書かれていました。
ただぼくの考えていたこととは、ちょっと違っていた。
立花ゼミはあくまでも大学のゼミだから、ものをつくるとかクリエイティブ仕事を
目的としている組織ではない。自分たちで新しいものを吸収しながら、修練して
いくことが大事だったのだと思う。
そりゃそうだ、大学は勉強する場所なのだから。
そうなんですよね、大学は修練する場所です。勉強をする場所です。
非常に当たり前のことですが、そうなんです。
そういうことをやるのが本来の学校の役割です。
勉強し、修練しないと疲弊していくしかない。
そうはいっても、現場でそうであるように、行動することは非常に大事で、行動に
向け最初の一歩がないと優れた経験を手に入れることはできない。
だから、優れた知性を作っていくには行動が不可欠となります。それもあって、
輝く知性は行動なしには生まれない
というスローガンをガリラボでは掲げてました。
このスローガンもあって、ガリラボの学生は行動ができる人が多くなった。
だけど、高いレベルに上がっていくには、それは必要条件だということに自覚的で
あるべきです。
残念ながら、十分条件ではありません。
経験を優れた知性へと転換していくにはインプット(勉強、そして修練)が不可欠。
今日はアウトプットをしすぎたので、これからしばし糸井さんの本に
向き合いインプットモードになろうと思います。
疲弊した頭に潤いを与えるために。
「秋の夜長は?」なるタイトルへの解答は読書と相場は決まっています。
当然です。
ガリラボのゼミ生諸君、一冊、少し難し目の本をとりだし、読み始めましょう。
乾いたカサカサの肌ならぬ、脳に潤いを与えてやるために。
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