夕方、ガリラボに戻ると、3年(09)村中、松崎、鞭馬が
残っており、若干の歓声(?)。
今日はNHK映像コンテストに向けた話し合いをした
ようですが、なかなか話がまとまらず暗礁に乗り上げて
いるとのこと。
しかし、悩むっていいことです。
学生とはそのための存在する社会階層でしょうから。
その流れで、311震災後、著名になった
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。
と題した校長先生のメッセージを紹介しておきました。
学生であること、その価値がここで述べられています。
脈絡を忘れましたが、このメッセージを解説しながら、
どうして詰まらないオリジナリティにこだわるのかと
話しました。
豊富な体験もしていない君らがそんなに立派な作品など
ひねり出せるものでもない、と。
言い方は悪いですが、ボンクラほどオリジナルにこだわる。
あのジブリだって原作があって作品を生み出している
わけで、全くのオリジナルでないことに着目すべきです。
優秀な連中は基本的に
巨人の肩の上に立つ
のです。オリジナリティを発揮するのはそこからです。
個人的には上記校長先生のメッセージをしっかりと
読みこなして、これをモチーフに作品を考案しても良いのでは
ないかと思いますが、他にももちろん良い原作は転がって
いるでしょう。
オリジナルでなければと考え、すべてを白紙にした自由な状態
では逆に考える自由を奪ってしまいます。
本当の自由は、多少の不自由さから生まれる。
ガリラボ通信では何度もそのことを書いてますが、ここ最近だと
・二つの映像の紹介(2011/5/4)
・卒論・修論添削終了(2011/1/24)
でそのことに触れています。
こんなにいつも書いているところを見ると、それほど難しいのです。
不自由さを受け入れるということは。
騙された思って、ここはひとつ純粋なオリジナリティなどという妄想は
一旦括弧に入れて、ある制約のもと、すなわち特定の原作にあえて
縛られてしまってはどうでしょう。
きっと今以上に自由にのびのびと発想でき、ガリラボゼミ生の
本領を発揮できると思います。
映像制作チームのみなさん、どうでしょうか?
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