2013年7月16日火曜日

ストックとフローという生き方など~高速バスの中から

今朝は9時から、1週間都合で開きましたが、4年(10)漆島と吉村との
英語の勉強会。久々感が強く、調子が今ひとつで進みもそれなりに。。
マンネリ化してきているのかもしれせん。
変化が要求されるところ。
どんな変化が良いでしょう・・・う~ん、全く思いつきません。(T_T)

連休中に長崎に行ったという漆島からのお土産(↓)。


 
次の時間はM1(13)坂口とのノットワーキングの勉強会。
今日は、卒業研究に取り組む4年生の活動システムに変革を起こさせる
ためのチェンジラボを明日開催するのですが、今日はその打合せ。
居合わせた漆島と吉村に適宜インタビューしながら、チェンジラボの
デザインを考えていきました。
インタビューしていると当初考えていたのはやっぱり拙いとのことで
即時修正(ちなみにこういうやり方を「形成評価」と言います。上田さん
のプレイフルラーニングに出てくるのですが、セサミストリートの番組
づくりで威力を発揮したそうです)。
それが終わって、坂口は午後になってさらに深く考えたようで、さらなる
修正案がメールで夕方届いていました(ただいま熊本に戻るバスの中なので、
帰宅後に読んでみたいと思います)
他のゼミ生も私が悲鳴を上げるほどに新しいアイデアをドシドシ持って
きてほしい。

お昼は10ゼミ会議(卒論リーダー会議)。
石原、吉村、森本、丸山が参加しました。

・・・・・

以下、ゼミとは直接は関係ないかもしれませんが、熊本に戻る高速バスの中で
思いつくままに書いたものです。
(高速バスでジョブカフェの村上さんと遭遇。このエントリーは村上さんの座席の後ろで
カタカタとキーボードを打ちながら書いています)

キャリア教育をやっていることもあって、「未来の働き方を考えてみよう」なる
書籍を今朝は読みました(ちきりんさんの本です)。
早朝のことなのでもう記憶は薄くなっていますが、多少なりとも参考になるかも
しれないので、覚えていることをこの場で紹介します。

現在、産業革命に匹敵する革命が進行していると感じている人が多いらしいと
いうこと。
さてその革命ですが、どういった場合を革命と呼ぶのか、意外に難しい。
自動車できたからといって自動車革命ということはないし、飛行機も
グローバル化を促進させましたが、それによって飛行機革命と呼ばれることは
ありません。
何故か、ITという機械だけがIT革命と呼ばれているのです。
これが革命と呼ばれる理由はなんでしょう?
産業革命の分析からその理由が推察できます。
産業革命の際、その原動力となった蒸気機関は、当時圧倒的パワーを持って
いた貴族層を社会の支配層から引き下ろし、平民出身の企業家にパワーを
移すものでした。
すなわち、革命とは、パワーシフト(=パワーを持つ層の交代)と考えられるのです。

この視点でIT革命を眺めると、国家とか大企業のパワーが、個人に移動している
捉えることができます。
例として、ウィキリークスとか個人のネットワークが国家と対峙するほどに
なっていますし、中東の革命「アラブの春」なども何でない個人がソーシャル
メディアでつながって国を倒したのでした。
ITによって個人が国家や大企業に匹敵するパワーを持つに至り、現在、そうした
パワーシフトが起きているのだというのです。
これがさらに進んでいけば、公務員安泰、大企業安泰などという能天気なことは
言っておれないことは容易に想像できます。
もちろん時間のスケールがどの程度なのかがわからないので、それがいつぐらいに
なるのかは定かではありませんが、貴族層が平民出身の起業家に取って代わられた
産業革命と同様なことが今後進行していくことは間違いないでしょう。
実際、今の社会をセンシティブに眺めていれば、そういった動きはあちこちで
起きていることは実感できます。

その変化は、私たち個人に逆照射され、強い影響を与えることになります。
そこでストックというフローという概念のちきりんさんは出されています。
これまでは、ストック型の考え方が多かったけれど、これからはフロー型では
ないか、と。
ストック型とフロー型の違いは、例えば、貯金はあるけれど自分で稼いでいく
力のない人と貯金はないけれど自分で随時稼いでいける人のようなものです。
あるいは過去に仕事などで培ってきた人的ネットワークはあるけれど新しい
関係を作れない人と、随時ネットワークを作っていける人の違いにも該当します。

ストック型からフロー型へのパワーシフトが起こり、長寿社会になっていけば
いくほど、資産を持っている人から生きる力のある人へとパワーシフトが
起きると予想されています。
自分自身で稼ぐ能力を持たない私としては非常に耳の痛い指摘ですが、確かに
そうかもなと思います。

さしあたり、現在起きている革命に対処していくには安定志向では拙いでしょうから、
フロー型になるよう前に進んでいく力を養っていかないとですね。
DeSeCoのキーコンピテンシーがそういった力に該当するかと思います。

これは、思慮深さ(反省性)を核にして、
(1)相互作用的に道具を用いる、(2)異質な集団で交流する (3)自律的に活動する
というスキルからなります
これらは、21世紀を生きる社会人に必要な能力とされています。
(ガリラボ通信「社会人に必要な能力について」参照)。

さて、これらスキルを見ると、どれも卒論や修論をかなり真面目に取り組んでいけば
身につくものではないかと思います。
実は、青い鳥って身近なところにいるわけです。
目の前の課題に思慮深く、真摯に取り組んでいくと良いはず。
頑張りましょう。

・・・・

唐突ですが、今日、視覚障害のある方とすれ違い、ふと「風立ちぬ」のエントリーで
書いた「」のことを思いだしました。
なぜそんなことを思ったのか理由はわかりません。

その方とすれ違い、人間であっても、人工物であっても、美しさというものを
視覚という感覚だけで考えている自分に気づかされました。
いつの間に視覚を絶対化している自分がいることに気付かされました。
視覚という感覚が、すれ違いざまに相対化され、ちょっとした衝撃を受けました。

当たり前の事ですが、人の美しさ、人工物の美しさって、視覚だけで決まるわけでは
ないはずですね。
美人も3日見れば飽きるというのはほんとかどうか分かりませんが、ただ、視覚だけで
捉えた美しさはいささか単純すぎるのかもしれません。
視覚障害の方は人や人工物の美しさなどをどう感じておられるのでしょう?
絶対化してしまっている視覚について改めて考えるために、そこのところを
知りたいと思いました。

この事例のように、特殊であったはずの前提を絶対化してしまい、その絶対的な
感覚で物事を捉えていることは私たちには往々にしてありそうです。
マズイことですよね。
そのまずいところに気づくには、そうした前提を持たない何かとの比較が有効では
なかろうかと。
そう思います。
そしてこの理屈は、他でも成り立つのではないでしょうか。
例えば、卒業研究。
卒業研究で使う方法論として有効ではないか、そう思います。
 
方法論というのは言うまでもなく「(思考の)道具」に他なりません。
そうした道具を使いこなすことはキーコンピテンシーを鍛えていくことにもつながる。
どんどんとそうした道具を試していきましょう。
 
 
前期の福岡行は今日で終わりました。
長かった。
来週から少し時間に余裕ができるはずです。
進捗が芳しくないところに手を入れていきたいと思います。


 

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