異なるのかということを研究した論文を今朝読みました。
感覚的に理解していたことですが、初心者はえらく厳密、緻密に計画を立て
ていくようです。
それに対してベテランは、「これぐらいかな」とえらく大雑把な計画しか立てず、
計画が進行していく過程で段階的にデザインを決定していく、形成的デザイン
を実践している。
これってすごくよく分かります。
世の中、不確定要素が無数にあります。そうした不確定要素による破たんを
回避していくには、ゆるい態度でいて、状況に応じて柔軟にデザイン案を修正
していくそういった懐の広い態度がどうしても必要です。
何となく感じていたことですが、やっぱりそうだよな、と納得させられた論文でした。
ところでどうしてこんな論文を読むに至ったかという二重刺激というものの
本質的な部分での理解、これが今現在の私に課している宿題だからです。
そのため、それに関係しそうなものを手当たり次第読み漁っています。
そのため、それに関係しそうなものを手当たり次第読み漁っています。
今朝読んだ読んだ論文は、結果的に、課題とは関係ありませんでしたが、ワーク
ショップデザインというものについて、この分野の人がどういったことを考えて
いるのかはわかり、ひとつの収穫は得ることができました。
とはいっても、目的とは無関係だったわけです。
そうした無駄を繰り返しながら、目的に向けて動いている感じです。
これは、先日、4年(10)森本から質問されたことへの私からのひとつの回答の
つもりです。
要するに、時間をかけ、無駄な時間もすべて受け入れてやっていかなければ、
問題の解決はありえない。さらに、幅を広げていくこともまずありえない。
仮に無駄なく一直線に解決に達することができる人がいるとすれば、それは、
それまでに膨大な無駄を経験してきた、その道の熟練者でしょう。
それまでに膨大な無駄を経験してきた、その道の熟練者でしょう。
学生は、無駄に時間を持っている。
そういた時間(海を見る自由)を持っていることが学生の特権だと思います。
試行錯誤し、脳に強い負荷をかけていきましょう。
きつさに悲鳴を上げた脳がいつかアイデアをポンと生み出しますから。
さて私にとっての目下の課題対象は「二重刺激」です。
自慢ではありませんが、私はよくものごとを忘れます。
昨日もこの夏やる予定のラーニング探求塾(仮称)の計画を立てていかないと
いけないことを思いつきました(第1刺激?)。
大事なことですが、そのままにしておけば確実に忘れます。
メモを取っておけばといいじゃないかと思われるでしょうが、私は手書きが苦手。
それもあり、メモを取る癖を持っていない。
GoogleカレンダーのTODOリストに入れておけば良いのでしょうが、しかしそれでは
想起のための駆動力として弱い感じがしました。
こんなダブルバインドの状態の時、この矛盾を解決するのに私がよくやる手は、他人に
投げることです(丸投げだとゼミ生からよく怒られますが・・・)。
ラーニング探求塾のことを思いついたときに目の前にいたのが、塾参加予定の4年(10)吉村。
吉村を塾の事務局長にしてしまえばいい。
そうすれば、吉村が動き出し、まずは塾の活動日程調整をやっていくでしょうから。
それでこのプロセスが駆動を開始します。
ラーニング探求塾に具体的な動きを与えるために、塾を開くという目標を達成して
いくために(要するに、私が忘れないためにですが)自分の行動を意図的に制御する
刺激として他者(吉村)を利用したわけです(申し訳ない)。
いくために(要するに、私が忘れないためにですが)自分の行動を意図的に制御する
刺激として他者(吉村)を利用したわけです(申し訳ない)。
言い訳すると、実はそれは相対的なものであって吉村の方も私を活用する形で
自分の行動を制御しているはずです。
コミュニティ内ではそうした互いが互いを制御し合うネットワークが張り巡らされ、
そこの刺激の連鎖がうまくいっているとき、単なるコミュニティは、参加者を成長
させていく実践の共同体になっていくのかもしれません(これは根拠は何もありま
せん。妄想です。ただ研究してみても面白いかも。ひょっとすると、大塚が現在
研究している活動システムの生成に関係しているかもしれません)。
そこの刺激の連鎖がうまくいっているとき、単なるコミュニティは、参加者を成長
させていく実践の共同体になっていくのかもしれません(これは根拠は何もありま
せん。妄想です。ただ研究してみても面白いかも。ひょっとすると、大塚が現在
研究している活動システムの生成に関係しているかもしれません)。
ラーニング探求塾をやるというのが第1の刺激で、それを遂行するために、第2の
刺激をあえて作り、過程の中に配置して、自分の行動をコントロールしていく。
刺激をあえて作り、過程の中に配置して、自分の行動をコントロールしていく。
そういう方略を人間はとっています。
人と動物との大きな違いです。
人は、媒介とする手段(道具や人)を利用して(作り出して)、自分を制御し、
対象に向かう。ヴィゴツキーという心理学者が主張したことだったようです。
対象に向かう。ヴィゴツキーという心理学者が主張したことだったようです。
第2の刺激は、それによって環境そのものを変えていくことにもつながります。
吉村の日程調整に向けたこれからの行動が、ラーニング探求塾という状況を
変えていくことになるでしょうから。
変えていくことになるでしょうから。
人は、そうやって環境に変えていくことで、自分を変えていく存在です。
それを学習とも言います。
他者にアイデアを渡し、それを活用して私自身が自分の行動を変えている事実を
冷静に見ると、私自身が自分ですべて決めたり考えたりしていることはないことを
実感します。
これは分散認知という考え方です。
これに関係して、2012/10/21のエントリーで「自分の人生×他人の人生=新しい発想」
というエントリーを書いています。
私が言うのもなんですが、なかなか良いことが書かれています。^^
ご一読を。
さて、人は周囲(環境)と共に考える存在であって、一人で何かやっている
わけではない。
わけではない。
この意味で、私の場合、自分が課題にしている第1の刺激には、周囲の人工物は
もちろんのこと、ゼミ生たちとの関係の中に第2の刺激を配置して立ち向かって
いるのだろうと思います。
もちろんのこと、ゼミ生たちとの関係の中に第2の刺激を配置して立ち向かって
いるのだろうと思います。
二重刺激が、これからガリラボでやっていくことになるチェンジラボやラーニング
キャンプの重要な概念になっていきます。形成的なデザインとも強く絡みながら。
キャンプの重要な概念になっていきます。形成的なデザインとも強く絡みながら。
まだ二重刺激をうまく理解できていなのですが、理解を深めようと、ガリラボ通信を
利用させてもらいました。
利用させてもらいました。
学習とはインプットでなくアウトプットです。
行き詰まりを感じたら、即座に行動。
アウトプットを出していくのに限ります。
人とは環境に能動的に働きかけていくところが動物と大きく異なるところ。
大変ですが、働きかけていくとで環境を変え、それが自分を「大」きく「変」えること
になっていくように思います。
以上、まるでまとまっていません。理由は理解が不足しているからです。
ラーニング探求塾などでみんなと一緒に学び、深い理解に達したいと思います。
私も「いつまでも最高の生徒でありたい」。
0 件のコメント:
コメントを投稿