2013年7月7日日曜日

七夕飾りを守るメダカの学校

今日は七夕。ガリラボ前の七夕飾りはご覧の通り。
笹は4年(10)漆島が持ってきてくれたもの。
伝統行事と化しているガリラボの七夕飾り(今年で4年目!)。
ガリラボの無形文化財ともいうべき七夕の伝統行事を守り抜くべく立ち上がった
勇士が漆島でした。笑

ただ、昨年のと比べると(こちら)、短冊の数は少し見劣りが・・・・
と思う方もいるでしょうが、今年、力を入れたのは上ではありません。下!!

注目は、ここです! 漆島の笹を守るためのこれ(↓)。

笹が長持ちするように水に張ったバケツです。
そこに水草が入っている!!!
どうして水草??
答えは・・・・・・・メダカをここで飼っているからです! 5匹入っています。

水を張っていると、過去の教訓からボウフラがここで誕生してしまうのです。
3Fの廊下がボウフラの養殖場になってしまう。そういう過去の経験がありました。
そんな課題をふと漏らしたら、漆島の笹を守るべく立ち上がった男が一人。
すぐにわかるでしょうが、そんなことに反応し立ち上がり、すぐに実行する男は、
4年(10)保坂しかおりません。
ボウフラ退治に「先生、メダカを飼いましょう」と言い、1,2日後、メダカと一緒に
水槽をガリラボに持ってきました(私と保坂の考えている内容の齟齬から、
こんなことになったのですけど・・・)。
その勘違いで、ガリラボは今、メダカの学校になっております。
(世の中の偉大な発明は勘違いからが多いので、とりあえず今回の齟齬も良しとしたいと思います)

七夕という伝統行事を守るべくいろいろやっているうちに、ボウフラ退治に挑む
5匹の勇者メダカとゼミ生のためのセラピーメダカ(10匹)が、ガリラボの新しい
ゼミ生として誕生しました。
世の中はやはり偶然の連鎖で成り立っているようです。

水槽をクローズアップします。見えますでしょうか?
メダカの遊び場もあっていいんじゃないと適当なことを私が言いましたら、
実践の男・保坂は早速行動。 マック(?)でもらえるコップを水槽に入れて
ました。

さらにクローズアップ。
メダカの遊び場は「Garilab(ガリラボ)道場」と命名されていました。笑


こうしたやりとりは実は昨日の午前中のことでした。
この日、星野村に行くという保坂、そして院の研究計画の相談に漆島が
出てきており、午前中、3人の対話の中で生まれたのでした。



さて、七夕やメダカの学校のことを書いたのは、以下のことを書きたいが
ためのことでした。
人が変わっていくということの実例として保坂を取り上げてみます。
 
人を変えるのは「学習」「学び」しかありません。
逆に学びとは人を変えること、人格を変えていくことに他なりません。
人格が変わっていかないようであれば、それは学びとは言わず、単なる
勉強というのです。
勉強と学習(学び)とは全く別ものです。
学びを、個人の変化として捉えることをユーリア・エンゲストロームという学習研究者は
強く拒絶しました。
またレイブとウェンガーという人類学者は学びとは関係(状況)の中に埋め込ま
れたものだと主張しました。
すなわち、人は、状況と無関係に教室、勉強部屋、あるいは図書館で、知識を
吸収していき、スポンジが水を含んで膨れていくような、そんな変化のことを学びとは
言わないのです。
エンゲストロームは、自分が変わるだけはなく、自己の周囲にあるさまざまな
ものごとを変えることで、その変化が有機的につながり、その中で個体も
変わっていくことだと学び(拡張による学習)を捉えました。
自分が変わるだけでなく、周囲を変えることで、それによって自分が変わっていく。

そういう理論を知ると、保坂は深い学び(=自分を拡張していく行動)を自然にとって
いることがわかります。
自費>で水槽やメダカを買ってくる行為は、自己だけを考え、自己の成長だけに
興味を持ち、暗黙のうちに自分をスポンジモデルとして捉えている、自分の知識だけを
増やしていきたいと考えている(高校生レベルの頭脳)の人にはできません。

これを書いている私だってなかなかできない。
レイブやウェンガーの理論と出会い、エンゲストロームの理論に出会い、学ぶとは
どういうことか、学習とはどういうことかを体の芯に近い部分で深く納得してから
ようやく意識して行動するようになってきたのにすぎません(いつもでありませんが)。
保坂とかはそれが自然にできている。羨ましい限りです。
私の曖昧な記憶でいうと、05山口、09村中とかがそういったタイプではなかったかと
思います(他にもいますが、たくさんなので省略しました)。

もっとも行動が先に来るので、トラブルも生じやすいでしょう。
しかし、そのトラブルを引き受けようとする度量があるから、そうした行動ができるのだとも
考えられます。
そうした度量というか、勇気をもらたすひとつの原因はプレイフルさにあるかもしれません。
プレイフルは、保坂もメンバーである玉名Bチームに与えているテーマです。
プレイフルとは、
  物事に対してワクワクドキドキする心の状態
をいい、
  どんな状況にあっても、自分とその場にいる人やモノを最大限に
  活かして新しい意味を創り出そうとする姿勢
を指します。
保坂そのものです。
人は、何かの課題があるとき、
 Can I do it? (それができるだろうか?)
と考える人と
 How can I do it? (どうやったらできるだろうか?)
と考える人に分かれます。
前者の保守的思考は、「やれることしかやらない」という人生を無駄にする10の方法
を実践している人で、新しい意味を生み出すことにつながることもなく、スポンジモデル
として自分を捉えてしまっている。
一方で後者の人は、できる方法を考える方向に思考が動き、その結果、自分の視野を
広げることにつながっていく。スポンジを交換するようなことさえやってしまう、そんな
人です。「こうやればできるかも」「あの人に助けを借りればできるかも」と考えを巡らせて
いって、その中で実現可能性の感触をつかんでいき、ワクワクしていく。
仕事を楽しめる羨ましい人と言っていいでしょう。

笹を守るための水、そこに発生する可能性のあるボウフラ、それを退治するための
方法(ソリューション)としてメダカ。そして水槽。
こうした行動が、ガリラボに新しい意味を追加していることは間違いありません。
自分を変えていくために周囲を変えていくという拡張による学習はガリラボの大学院での
重要なテーマです。
拡張による学習という深い学びを実践しているモデルが実は目の前にいたわけです。
その行動パターンと歴史文化的活動は観察の対象になりえるかもしれません。^^;

・・・と少し誉めすぎました・・・調子に乗ってあまりやりすぎないことを祈ります。笑


ガリラボも色々な制度を取り込み、How can I do it?的にやってきて、数年前から
すると驚くべき変化をしています。
今現在そこにいるゼミ生はそれが空気のようになっているから気づかないでしょうけど。
数年前とは全く違う研究室になっています。
拡張による学習を果たしてきたと言って良いでしょう。
色々な要因がありますが、大学院生という存在もその原動力のひとつでした。
ガリラボは、研究科の中で唯一<積極的>に院生に門戸を開いている研究室と
言って良いかと思います。
それは、拡張による学習を意識してのことです。
保守的である方が気楽なのですが、それではガリラボにワクワク感が生まれない。
院生、学部生がワクワクする中で、学びを深めていくことがガリラボの目標とするところです。
 
さて、次の院生候補が動きを始めています。
おとといの夜に、サインをテーマにすることは漆島と合意しておりました。
昨日の午前中及びバレー大会終了後に話をする中で、サインを、フィールドマイニングと
記号論という二つの枠組みの中で捉えなおしていこうかと、そんなアイデアに今のところ
到達しています。
このテーマについて私個人はすごくワクワクしており、どうやったらできるだろう?、と
昨日からずっと考えているところです。
プレイフルにやっていきたい! そう思います。
  


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