2018年3月12日月曜日

ごく普通に、緊張してみたい

本日は国公立大の後期入試でした。

本学でも受験生がやってきて、入試に挑んでいく姿を見ました。
私自身の受験経験はもう遠い遠い過去のことで、当時、私自身がどんな
気持ちが受験しようとしていたのか、もうほとんど記憶にありません。
当時は私でも若かったはずなので、それなりに緊張はしていたのだろうと
思います。
なんだか今はそんな緊張をすることが減ってしまいました。
これって、感受性を失ってきたということではないのだろうかと、そう
思うと、情けない限りです。

ゼミ生と話していると、発表の場とかになると随分と緊張するということを
聞きますが、それを聞いて、しっかりしろよと思うのはもちろんですが、
実は、それ以上に初々しい感受性を持ったゼミ生たちが羨ましい気持ちに
なっています。ちょっと複雑です。^^;

学生たちのように、私もごく普通に、緊張してみたい。


芭蕉がこういう句を読んでいます。
 よく見ればナズナ花咲く垣根かな。
特別なことであれば誰でも緊張したり、刺激を受けたりするのですが、日常
にありふれたナズナでもきちん見れば新鮮な刺激を受けるのだと言うことかと
思います。
特別なことだけなく、ありふれた日常も新鮮に捉えていく優れた感受性を持ち
続けたい。
私自身はもちろんそう思っていますが、ガリラボのゼミ生にもそういった眼を
養っていってほしい。


教室に入る前、必死に勉強している受験生の姿に刺激を受けて、上記のような
ことを思いました。
受験生にサクラサク(←死語になっているようです)が届くといいですね。



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