2018年3月8日木曜日

4500回目の投稿~8年半が詰まったポートフォリオに成長

3月初旬なのによく雨が降ります。気温も高いし、先日は雷も鳴っていたし、
梅雨ではないかと錯覚してしまいそうです。
この雨の中、国際交流会館にて会議があり、傘をさしていても随分と濡れました。
お昼に大学に戻ってきたらすぐに研修へ。2つ連続であり、その2つ目が「心と
体の健康法」というものでストレスの意味とそれを和らげる方法を聞きました。
実践もあって、最近少々感じていたストレスが取れた気がしました。^^;
研究室に戻ってきたら2年(16)川上がPCの前でカタカタと作業をしており、その
真逆のように3年(15)八並は超リラックスして座っていて、立ち上がったと
思ったら「バイトだ」と出ていきました。
入れ替わりで職員さんが来られ、久しぶりに少し話をしました。優秀で仕事を
さばける人だなと感じています。優秀なので、きっと仕事が集まってきているの
ではないかと心配にもなります。ストレスが蓄積されているのではと思いましたが、
その時は今日の解消法をやるとよさそうです。


さてさて、ガリラボ通信は、これで4,500個目のエントリーとなりました。
(とりあえず)メデタイ。

4,000回目は昨年の1月28日でした(ガリラボ通信2017/1/28)。それから500回
投稿するのに1年と1カ月ほどかかったことになります。
毎日1つ投稿するのが基本なのでやはり500回の投稿には1年以上かかります。

ただ、数字で書くとたったの3文字「500」でしかありません。しかし、この中には
ゼミ生がここガリラボで活動してきた色々な1年間がみっちりと詰まっております。
かけがえのない記録です。

また「4500」という4文字の数値には8年と半年ほどの記録が詰まっています。
これまでの道のりは以下の通りです。
2009/09/10初回)    ガリラボ通信(研究室ダイアリー)開設
2010/10/03500回目) ラーニングコモンズとしてのガリラボ活用(500回投稿記念!)
2011/09/181000回目) 1000回~ひとつの変革の時を迎えて
2012/07/241500回目) 1500回目の投稿
2013/05/052000回目) 2000回目の投稿~10、11ゼミ生への期待と次の方向について
2500回目投稿(不明)
2015/03/313000回目)3000回目の投稿~新しい道を進む11ゼミ生へ、
                                                                   そして社会人となったゼミ生へ
2016/03/203505回目3500回目(+α)の投稿~サクラ便り2016(1日目)/

                          12卒業アルバム制作/たまラボ8回目
2017/01/28 4000回目) 4000回目の投稿~継続できたのは熱量の高いゼミ生たちのおかげです
2018/03/07 4500回目) 今回の投稿

2009年に開始して8年と半年ほどとなります。
”様々な人が交差しコミュニケートする場としてのガリラボ”とは、ガリラボ通信の
説明に使っている文言です。
このフレーズの通りに、その時々で、在籍したあるいは卒業したゼミ生たちがこの場で
色々な活動をやっていました。
ガリラボ通信は、そうしたゼミ生たちの8年半が詰まった大事なポートフォリオとなっ
ています。
ガリラボのかえがえのない、貴重なデータベースとなっております。

毎日こうした記録を残すというのは、それなりの苦労はあります。
1日が終わりゼミ生が帰ってからまとめることがほとんどなのですが、急ぎ帰宅し
ないといけない時など、帰り際は、今日のことを猛スピードで思い出させている頭と
キーボードを必死に叩いている指とはパニック状態。ほぼ戦争状態となります。
この意味で、私はは1日の最後の最後が、もっとも過酷な状態におかれます。笑

だけど、その過酷さ(笑)の見返りというか、ご褒美というか、メリットは計り
しれません。
記録という「行為」を通して、毎日のことがかなり新鮮に目に焼き付いていきます。
1日がただ過ぎてしまうのではなく、言語化によって1日、1日に意味が与えられ、
それゆえに、日々を充実したものにできていると実感しております。

このことについては、13ゼミ生3年前期のラストの時のガリラボ通信で引用した
ガリラボの女帝(またの名をモモゴジラ)OG(13)松崎のことばを再掲したいと思
います(ガリラボ通信2015/7/22)。
松崎は副ゼミ長としてすべてのゼミ会議の記録、そしてすべてのゼミ活動を詳細に
記録してきました。私と同様、ゼミ生がすべて活動を終えた後にひとりでそうした
記録作業をしてきたのでした。その松崎がこんなことを話していました。

  幹部リフレクションでも話しましたが、記録するという行為は偉大です。
  私は2月の時に話した際のみんなの表情まで覚えています。
  記憶力は悪い方なのに、副ゼミ長になってからの半年間は鮮明に思い出せる
  からです。そして毎回みんなの雰囲気や表情を記録するのが大好きになりま
  した。”やらなければならない”から”やりたい”に変わったのはいつだったの
  でしょうか。議事録はその日だけでなく、ずっと先の思い出にまでなるんだ
  なと思います。 (13)松崎 2015/7/22
 
上に書いた通り、私も松崎と全く同意見です。
私も特に記憶力が素晴らしいというわけではなく、だいたいこの年齢ですから、
記憶力も落ちているはずですが、8年半もの間、こんなことがあった、あんなこと
があったと意外によく覚えているのです。

今この瞬間にあることをやっていて、そういえばあの頃「こんなことがあったなー」と
思いだすと、それを確かめるためにガリラボ通信というポートフォリオを検索する。
そんな使い方をしています。
日々の記録=ポートフォリオは、未来においてこそ強力な力を発揮するものになって
いくのです。
上の松崎の言葉もそうやって取り出したものです。

先日、次の記事を読みました。手帳の活用法についての記事です:
 ⇒人生が充実する手帳の活用法 2018/1/22
対談記事です。その最後の方に、こんなことが述べられていました。

  ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテはドイツを代表する文豪で、
  小説「若きウェルテルの悩み」の作者です。彼は「充実した人生」を送る
  ために、すてきな名言を残しています。
    毎日を生きよ。
    あなたの人生が始まった時のように。
    ただ、はつらつとした活動によってのみ、
    不愉快なことは克服される。
  「毎日を生きよ!」という言葉を私はいつも大切にしています。たとえ原稿の
  締め切りや講演会などの予定でスケジュール帳がいっぱいになっても、毎日
  の自分の人生を満喫する時間を大切にしよう。そのためにはスケジュールが
  空白の時間を、ただ過ごすのではなく、やりたいことをやって生きる。

毎日を生きよ・・・なんと素敵な言葉なのでしょう。
ガリラボ通信という記録(文字と写真、さらには動画)を通してガリラボの毎日は
存在しており、そうした毎日の中で、若いゼミ生たちと生きているという、なんとも
贅沢なことをさせてもらっています。
これは(たぶん)教師でないともらえない贅沢であるかもしれません。
本部棟にいてはとてもこうした贅沢にはありつけない。
ここ、3Fの端っこの部屋でもらえる貴重の贅沢です。
ちなみに本部棟で思い出すのは、あるプロジェクトをやっていて夜な夜なメンバーと議論していたり、
文科省等に対する申請書を作るためにやはり夜な夜な集まって知恵を絞ったりと、そういったことです。
ガリラボでやっていることと変わりありません。残念ながらそうしたことをやってきたメンバーは退職、
転出、さらに県庁に戻ったりとでほとんど残っておられませんが、あの時の職員さんたちのことは一生
忘れられません。あんな人たちともう一度仕事をしてみたいものです。

「毎日を生きよ」に関連して、もしも時間があれば次のガリラボ通信も読んでみる
のも良いかと思います。
  黒澤監督による「生きがい」の解釈ガリラボ通信2015/9/13
本日は3月8日。そろそろ「311」がやってきます。この通信の中で、私は

  日々が繰り返される日常性の大切さは東日本大震災の直後でもよく言われ
  ました。
  大震災は、退屈なほどにごく普通に暮らすことがいかに重要であったかを
  再発見した事件でもありました。

と書いています。いつもそうあること(=日常)を非常に大切に思っているのですが、
そうすることは意外と難しい。これに関し、この通信の中で私は、

  映画「生きる」の問いかけから推測すると、学生時代であれば学生で
  ある日常をきちんと生きて、学生であることを深めていくことが良いの
  だろうと思います。
  そうすることが、要するに、今ここにいる、存在している意味を作り出
  しているように思うからです。
   
とも書きました。春休みになって学生であることを失ってしまっているゼミ生もいる
かもしれません。2・3・4年ゼミ生、春休みになって学生であることをやれている
でしょうか。あるとき、自分に問いかけてみる(リフレクション)と良いでしょう。
  
 
話題は飛びます。
たまたまですが、女性のキャリア形成の代表的なモデルのような方についての次の
記事を昨日読みました:⇒早期退職したメガバンク女性役員が目指すもの  2018/3/7

この方はメガバンクの役員になってから50代半ばで退職。順調な道をあえて外れ、
再度、大学(ハーバード大学)で学ぶことを選択されました。
この記事を読んで、レベルは違うものの今の自分の立場と重なってしまいました。
そしてこの方にインタビュアーが聞いた最後の質問
 「ご自身がモデルとしてきた上司はいますか。
に対し次のように答えられているのに目が釘付けとなりました。
ゼミ生の年齢だとまだまったく関心も持てない内容でしょうが、私などの年齢になる
とわが身の人生を振り返り考えさせられる内容です。

  もう20年くらい前に、かつての上司から聞いた話がずっと頭の片隅に残って
  います。「自分が墓に入るとき、業績表彰されたとか、役員だったなんてこ
  とを思い出すことはない。それよりも、地方の支店長時代に、くすぶってい
  た部下にある役割を与えたら輝き始めた。支店長を辞めたあと、自分がこんな
  人生を歩めるようになったのは支店長のお陰ですと言ってもらえた。そんな
  ことのほうが大事なんだ」とご自身の経験を語ってくれました。何かに迷っ
  たときに、ふとこの言葉が降りてきます。人生を終えるときに、自分が思い
  出す価値あることは何だろう――と。

昔から家内に「仕事の代わりはいくらでもいるだろうけど、父親の代わりはいない」
と言われ続け、そして、(例外はいるにしても)ガリラボのゼミ生にとっての担当
教員も私以外はいないはず(だと勝手に思っております=そう信じています笑)。
これらによって私の固有の価値がもたらされているとするならば、最後に思い出すと
したら、きっとこれらの人たちだと思います。先日もこれまでのゼミ生の卒業式の様
子をガリラボ通信で眺めておりました。
(なお、最後の最後に、最初に思い出すのはたぶん上記以外です。それは確実)。
  
そういうことなので、これからもここガリラボで活動し、ガリラボ通信にてゼミ生の
ことを記録し続けていきたいと思います。
冒頭で書きましたが今回で4,500回目。
これからさらに500回継続できれば5,000回という区切りも達成できそうです。
次の節目10,000回は間違いなく到達できないので、5,000回がガリラボ通信にとって
大事な区切りになるでしょう。

毎日を生きよ!」を「毎日書け!」と読み替え、ガリラボのゼミ生(在学生、
卒業生)の活動した証しをここに残していきたいと思います。
4月から、(たぶん最後になって思いだすことはない)ここ4年間の空白の分を取り
戻すために。

(4,500文字)

 


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