2013年6月8日土曜日

講義サポーターの慰労会

昨日夕方、日本の夜明け(?)「明治維新の前に佇む4年(10)漆島。


講義を毎週補佐してくれる大学院生と4年生とで慰労会に出かけました。
それが何故「日本の夜明け」なのかは不明です。^^;
私自身が幕末の動乱について司馬遼太郎を通して好んでいることを見通して
くれたのでしょうか。いや、それは無さそうです(口にしたこと記憶がありませ
んので)。参加した誰かの趣味なのでしょう、おそらく。
入っていくと、独特の雰囲気が醸し出されていました。

通された明治維新の間に飾られていたお酒。小松帯刀とか、普通には
わからない人物だろうと思いますが、色々な銘柄があるものです。
驚きました。

お肉を焼くのも七輪風。お肉より、何が書いてあるのかそっちが気になって
しかたありません。^^;


情報処理入門とプレゼミナールを毎週(!)欠かさずサポートしてくれている
メンバーです。院生2名(大塚、坂本)と院生候補(漆島、吉村)の2名。


講義についての話はもちろんですが、やはり大学院についての話題が多かった
ように思います(あまり覚えていませんけれど笑)。
大塚、坂本には最近厳しめの指導をしています。そういった話を私がしたり、それに
反応する形で、大塚、坂本もまた色々なことをこういった場で話すわけで、そうした
やりとり全体が、周囲の人たちに、マニュアルなどでは伝わりにくい大事な知識を
伝えることになる。
坂本が研究テーマとしているスキルの伝承にも密接につながることです。
学びとは「学ぶ内容」と「学び方」のセットであって、双方がないといけない。
そのセットによって人格を変容させていくことが学びというものです。
前者は一種の「モノ」であり、一人でも習得できていく情報なのかもしれませんが、
学び方は「コト」であり関係性の中で習得されていく側面があります。
そのため、その習得には学びを実践している中に身を置くことが大事だろうと思う
のです。
 
5人でしたので大騒ぎすることはもちろんなく、、静かながらも笑あり、涙あり、飛んだ
油の熱さを我慢しながら話した数時間は実りが多かった。
創造的対話は4,5人がやはり適度ですね。
それ以下では話が広がりにくいし、それ以上になると対話(平田オリザさんの言う
意味での「対話」のこと)が消滅してしまいます。
さらにまたその時、フラットな関係でないとやはり対話は消滅してしまう。
対話を発生させ、持続させるのは意外と難しい。

会話も面白いですが、やっぱり対話(ガリラボで言う雑談)の面白さはそれ以上です。
だって、単調ではない、たくさんの刺激がそこには散りばめられているわけですから。

大学院生という立ち位置でないと、なかなかこういう場をつくる、こういった関係に
至るのは難しい。
大学院生と学部生との大きな違いです。
関係の変化。
学生と社会人との狭間にいるような大学院にとって、それが意外に大きな変化に
なっていくことも多い。
大塚と坂本を見ていてそう感じます。
学部で卒業していった卒業生とはわずか1年ですが何かが違っている印象があります。
二人ともそうした変化は感じているようです。
言葉にしにくいですけど。
私自身も大学院でそうした変化を受けた一人でした。
 
 

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