2011年12月8日木曜日

事あるごとに話していること

今日のガリラボは閑散としてました。
3年(09)中島、緒方、市川、4年(08)松永、矢田、4年(07)浦本ぐらいだったですね、
顔を見せたのは。
それとM2(10)松尾が夕方顔を見せました。
ほんと閑散と、という感じでしたが、雨も降ってたのでみんな活動量が低下したと
いうことでしょうか。。。

さて、本日のタイトルに使った文言の入ったガリラボ通信を書いたのは、昨日の
パソコン時代の終焉の中でした。
そこではiCloudについて触れたのですが、、、ちょっと本筋から外れますが、iCloudと
近い距離にあるアマゾン陣営のKindle Fire(キンドル・ファイア)が、今日の日経に、
iPadしのぐ滑り出し キンドル・ファイアを使ってみた クラウド時代の端末
とのタイトルで掲載されていました。
iPadに対抗できる唯一の商品と記事にはあります。

ちなみに、これがすごいところは、パッケージを空けたら面倒な手続きはなどいらず、即座に
電子書籍が購入できるところです。
このことについては、電子ブックの話題とのタイトルで前に書いたので省略しますが、こう
いった動きを眺めていると、パソコンの時代はほんとに終わるんだなと感慨に浸るとともに、
タブレットとクラウドという枠組み(パラダイム)の中で情報の処理やメディア接触などが
規定されていくことになるなと自覚していかざるを得ません。
世の中が変わるのは太古の昔から当たり前のことですが、今現在その変化は、パソコン
から次の時代の転換期にいるようです。
ひとつのパラダイムが終わるわけですから、生活、仕事は大きく変わっていくのでしょう、
たぶん。

さてさて、今日のテーマは情報社会ではありません。
脱線しましたが、昨日のガリラボ通信「パソコン時代の終焉」の中で、
事あるごとにあちこちで話していること
とのフレーズを文中に書きました。「事あるごとにあちこちで話している」ということに
M2(10)松尾が反応し、次の記事の存在をメールで教えてくれました。
“グローバル人材”を渇望する企業の見当違い(日経ビジネスオンライン)
さっと読んでみて驚きました。
確かに「事あるごとに話している」ことでした。
実は、この記事にある言語の問題、そして働くということの問題については、ほとんど
同じことを随分前から松尾とのゼミの時間に話していたからです。

社会人学生ではなかった松尾は、修士過程を終えたら働かないといけないわけで、その
こともあって普段から私が考えていたコトバの力から始まり働くということまで、ゼミの時間
を利用してじっくりと何度も話をしてきたのでした。

3年生の就活も始まったことですから、今日はゼミ生も少なくあまり書くこともないので、
これをテーマに以下書いてみようと思います。
一見私とは関係なそうな、グローバル社会における話題です。
昨日、雑談交じりに、地方と都市との経済関係の話、そして税の話したら、3年(09)松崎が
「いったい何の先生ですか?」と言ってましたが、複雑なものは無理でも、単純な本筋のこ
とだったら様々な情報をしっかりと見極めていけば素人でもそれぐらいのことはわかります。
以下、そういったレベルでの素人談義ですので、話半分程度に読んでください。

グローバル化すると、人はあちこちに出向くことになり、「どこでも使える人」を欲しくなる
のはまあ当然です。
となると、英語ぐらいということになって、国外留学といったことが結論として出てくることも
あります。
しかしここが曲者!
確かに留学することは意味のあることです。
しかし、それがグローバル社会における「どこでも使える人」とは全くイコールでは
ありません。
ある言葉、たとえば英語としましょう。
英語を学び、英語が使えるようになったとします。
そして、英語圏で働けるようになったことを想像してください。
その時、周囲はすべて英語です。
そこでは、英語で話すことは当たり前すぎることで、特別でも何でもありません。
だって、そこでは子どもだって英語で話をしているわけですから。
英語を話す人は山ほどいるところで、英語が話せることを何のメリットでもありません。
そこで必要なことは英語じゃない。
英語の先生に怒られそうですから蛇足的に言いますが、そういった空間で英語が必要
なことは当たり前ですが、しかしそういう問題ではない。
価値あるものを生み出せるスキルを持っているか、仕事の能力が高いかどうかが
極めて重要になります。
先の記事で河合さんも何度も念を押しているように、その空間で英語が不可欠である
ことは当然なのだけど、しかしそれ以上に磨かないといけないことがある。

ぺらぺらと流ちょうに英語をしゃべることはなく、同じくぺらぺらと日本語をしゃべる
ことだけでもない。
マイクロソフトが1分間面接に変えて、稼げる人間の採用確率が5倍になったとの
話を斉藤孝さんが書かれていますが、そこに、鍛えないといけない本質的な部分に
ついてのヒントが隠れているように思います。
文字が多くて読みにくいでしょうが、ここまでたどり着いたゼミ生は、自分の頭でそれが
何か考えてほしいと思います。
それ自体が就活になるんだろうと思います。

別の視点でさらに付け加えておきます。
グローバル社会という中で使われる「どこでも使える人」という言葉に、隠されていることに
気付かないといけない。

「どこ」でも使えるというのは、「ここ」でも使えるということですよね。
Anywhereで通用する人とは、それより少しレベルの低いAnywを取り去った「here」で通用で
きることが大前提です。
「ここ」で役に立たない人が、「どこでも」が要求されるグローバル社会で必要な人材に
なることはあり得ない。


さて、目を閉じて手を胸に当てリフレクションをしてみましょう。
自分が今いる場所(つまり、その場所での他者との関係において)、あなたは使える人で
あるかということです。

私自身手を当ててみましたが、よくはわかりませんでした。
だけどこれだけは言えるはずです。
人に何かを任されたり、頼まれたりするというのは、「使える人」かどうかを測定する
指標になりえると思います。
となれば、その量が多くなるようにしていけば、「そこで」は少なくとも使える人材になって
いってるのだと思います。
それを徐々に徐々に高度なレベルで任されたり、頼まれたりするようになれば、あるとき、
「here」に「Anyw」がくっついて、Anywhereに通用する人材になっていくのはではないかと
思います。
その時、語学力もあるともちろんいいでしょうね。

ここで通用する人材であって初めて、どこでも通用する人材になれる必要条件を獲得
できるはずです。

こういったことをM2(10)松尾とのゼミでは「事あるごとに話してきた」ように思います。
(実際ももっと多様な見方で話してますが、さすがにブログで書くのはちょっとシンドイ)。


中途半端な感じですが、もう3,000文字ほどに近づいてきたので、もう止めます。
続きが聞きたい人は、大学院にでも入ってください。
マンツーマンゼミで、しつこいぐらいに同じ話を聞くことができますので。。。( ̄▽ ̄)v


ところで、日経ビジネスオンラインの記事を書かれた河合さんの経歴を見ると、人生とは
ほんと色々あるものですねぇ。
教育学部を出た方が、最終的には保健学の博士の学位を取得されているわけですから。

就活という用意された簡単なレールに乗かっているだけでは案外に思考停止になってしまい、
本来鍛えないといけないところが疎かになってるかもしれませんよ。
就職産業が生み出してきたレールは利用させてもらいながらも、その上で、じっくりとここで
話してきたようなことをしっかりと考えていくことも必要だろうと思います。
実はそういったことも就活の中に含まれると私は思うのです。

「どこでも通用する人材」となっていくためにですね。

聞いている範囲で、そういった人材になるべく努力を始めた人がいます。
そんな話をしているときの顔は素晴らしかった。

そういった人も、そして、まだこれからの人も合わせて、

頑張れ、ガリラボゼミ生!


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