朝日新聞の平成23年10月29日のオピニオンに、新聞が消えたら町は
どうなるかについての記事が掲載されていました。
スティーブン・ワルドマンさんに聞く記者が消えた街
確かにありそうな話であり、メディアが消えると恐ろしいことになる可能性の
あることを端的に教えてくれる例かなと思います。
新聞が消えていった時、どうするか?
この記事の中で、米国では寄付による方法で新しい機関を立ち上げるといっ
た方法に言及されていますが、寄付文化の弱い日本の場合については次の
ように書かれていました。
・・・・・・
――米国と違い、日本には伝統的に寄付を貴ぶ文化がありません。
「寄付だけに頼らずに取材機関を作るには、大学を拠点にする方法があります。
いま米国でジャーナリズム専攻者は大学生5万人、大学院生4千人。座学ではなく、
街に放り出し取材させ、記事、写真、動画とも新聞社やテレビ局に買ってもらえる
水準に仕上げる。アリゾナ州では大学制作の番組が週3回も定時放映され、
大好評です」
・・・・・・
このオピニオンがでてすぐに、私は読んでしまったんです。
で、上記引用している部分に目が釘付けになってしまったんです。
ガリラボで、初歩的なものでもいいからやろうと。
それで放送部なるものを立ち上げていこう思ったのです。
来週から放送部は立ち上がります。
よちよち歩きでしょうが、数年後にはひとりで立って歩けるほどに成長すると
いいなと考えています。
もうひとつ新聞関係で、こんな記事も目にしました。カナダでの例です。
ジャーナリストが仕事をするカフェ「NEWS CAFE」が地域社会のハブになる?
新聞社が社屋に引っ込んだままでなく、まちにでてそこで新聞づくりをしていくというものです。
地域の食材があり、そしてそこに地域の情報も集う。
いいですねぇ、これ。
まちの溜まり場でかわら版を作るような感じで、ほんといいですねぇ、これ。
記事の最後は
こうしたオフラインの場で地域のハブとなるカフェが増えていくと、
そのコミュニティがよりよいものとなっていく後押しになりそうですね。
と結ばれていますが、ほんと、地域社会のハブになっていく可能性を感じます。
これを読み、テンションあがりました。
ガリラボの新聞部も今後こういったものを考慮していくいいかもしれません。
・・・・・
ガリラボには新聞部があり、そして放送部が誕生します。
これまでのメディア社会の構図そのものですが、今後この活動を持続させながら、
これからの新たなメディア社会のあり方をガリラボ内で実験検証していけると面白
そうです。
そのために色々と実験的な試みに挑戦していきたいですねぇ。
どうですかね、草原部長に中島部長?
これまでの考え方に囚われず、色々と考えて行きましょう!
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