2011年12月15日木曜日

「なんでもない日、おめでとう」から始める放電生活

夕方、4年(08)大塚が、こんなツイートをしてました。
   今日のほぼ日手帳のトップが、午前中に話していたことに
   少し被ってた(・ω・)
   なんでもない日、おめでとう。
そこにあったリンクをクリックすると、糸井重里事務所が誇る(?)ほぼ日手帳の
ページにジャンプしました。
(サイト)

そこには、こんな文言が書かれていました。

  でも、ほぼ日手帳は
  日記ではありません。
  だから、なんにも書く気が
  おこらない時は、白紙だって
  かまわないじゃないですか。
  なにせ名前も
  「ほぼ日」なんですし。
  そんな日だって、あなたの1日。
  なんでもない日、おめでとう。
  そんな気持ちで、どうか、
  真っ白な1日も
  大切にしてあげてください。

ほんとにこんな話を大塚そして一緒にいた3年(09)村中にしていたんです。
何にもなかったら「なんにもなかった」と書く!
白紙がそれを代筆してくれるのであればそれでもいいでしょう。
それで、その日は「何もなかった」という特別な日になるんです。
白紙でさえも存在しなかったら、その日は人生から欠落してしまいます。

記録していくことは(ずっと後になってその効果がわかりますが)ほんと大切です。

来年のキャリア形成論ではこのほぼ日手帳を例にして話をしようと
決めています。
そのために「ほぼ日手帳公式ガイドブック」を今日注文しました。
しっかり勉強して、記録していくこと(自分の歩み(キャリア)を残していくこと)を
伝えようかと思います。

ついでながら、「何もなかった!」との記録の話から「放電コミュニケーション」の
話を二人にしておきました。
博報堂が2006年に使った言葉ですが(生活予報2006)、ブログが定着するようになった頃、
ブログなどで不特定多数の人たちに向かって情報発信していくことを指します。
世の中の不特定多数無限大に向かって情報を発信していく人たちは、実は充実した
生活を送っていることを博報堂は調査で明らかにしました。

ブログを書き始め、何かを発信しようとしている人は、実はぼんやりと周囲を眺めていない。
常に情報をアクティブに捉えようとしている。
捉えられないと、じゃあ「出かけよう」とブログでの放電コミュニケーションを行うために
活動する。
ここに逆転現象が生じているのです。
何かあるから情報発信をするのではありません。
逆です。
人は、アウトプットをするために、情報を発信するために、行動をするのです。
だから情報を発信している人(あるいは、記録をしている人)は、そのために動きを始める。
奇妙でしょうが、これある意味で普通です。
テレビを見たから友達を話をするというよりも、逆に友達と話がしたくてテレビを見ている
自分がいたりしませんか。
放電コミュニケーションといった情報発信は、例外はあるかもしれませんが、日々を活動的に
させるひとつの方法です。
唐突ですが、4年(08)戸高の卒論のテーマの本質はこの部分にあります。

とりあえず、白紙からでもいいでしょう。
「なんでもない日、おめでとう」の精神で、ゆったりと放電生活に入っていくといいかと
思います。

20時前、M2(10)松尾が修論を書くのに疲れたとふらりと顔を出しました。
それからまた放電生活へ。
つい1時間以上、雑談の花が咲き、いやーー、今日は特定少数向けでしたが、放電
コミュニケーションを山ほどしたように思います。( ̄▽ ̄)v


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