2016年7月10日日曜日

第6代ゼミ新聞部の引退

昨晩、4年(13)飯沼から送られてきたゼミ新聞部の議事録の冒頭部分です。


この日はゼミ新聞第25号の振り返りが行われました。
25号が13ゼミ生が関わる最後のゼミ新聞となります。
13ゼミ生からは、6代目ゼミ新聞部長として(13)飯沼が選出されました。
飯沼が指揮し、13ゼミ生が先頭に立って初めて挑んだのが第23号でした(ガリラボ通信2015/11/1)。
23号から1年、企画、取材、編集、発行という過程をずっと牽引してきました。
なお、この代は、ゼミ新聞のツイッターを創始した代でもありました。
アイデアに溢れ、そしてそれ以上にやり始めことはきちんと最後までやり抜く代で
あったように思います。だから、新聞紙面のクオリティもかなり高かった。

昨日の振り返りを最後に新聞部から13ゼミ生は引退します。


引退する13ゼミ生用に特別号第25.5号を14ゼミ生が製作し、プレゼントした
ようです。
私も1部もらいました。
13ゼミ、14ゼミの新聞部部員双方にとって色々と思いのこもった特別号になった
のではないかと思います。

 
昨晩、第6代目ゼミ新聞長(13)飯沼から、私とゼミ新聞部員全員宛に送信された
長いメールには、最後に感想が添えてありました。
  長くなりましたが、津曲先生、新聞部の皆さん、こんな頼りない私に
  ついてきてくれて、また温かく見守って下さってありがとうございました。
  リフレクションでは14の皆から卒業新聞やお菓子などのサプライズもあり、
  本当に想像もしていなかったのでとても嬉しかったです。
  今後は14生の皆が新聞部を引っ張っていく番です。私よりみんな能力は
  とてもとても高いので、すぐに超えてくれると思います(笑)
  皆と仲良く活動で来て楽しかったです。本当にありがとうございました。

船出するときは、おっかなびっくりで、大丈夫だろうかと心配していた飯沼でしたが、
終わってみればこれまでの部長以上に色々な仕事をしてきたように思います。
配慮が非常に行き届いていた。
気配りが大変よく出来る部長でした。
(飯沼の気配りのエピソードは沢山ありますが、あえてこの場での紹介はやめておきます)
 
13ゼミ生新聞部の諸君、どうもお疲れ様でした。
一区切りついたので、次は、卒論。
ゼミ新聞部員でチームを組んだCoho'zuのメンバーとして今後は卒論に全力投球し、
新聞以上に情熱を注いでほしい。
色々と成果を上げてきた13ゼミ生新聞部のことですから、きっとまた素晴らしい成果を
上げてくれるものと思います。
 

追伸
本日、ゼミ新聞部員だったOG(12)森にキャンパス内で遭遇しました。
大学(キャリアセンター?)のお手伝いだったようです。
PUKリンピックの開会式に向かっている時にアリーナ近くで会い、閉会式が終わり、
テニスコートでテニス仲間とだべっていたら、そこでまた会いました。
遭遇する確率はかなり低いはずです。
何かの縁なのでしょうね、きっと。
なぜか、私のテニス仲間とも話が弾んでいました。^^;
 

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