2013年8月12日月曜日

第2種地域貢献研究の確立を目指して

今日は大学はサマーエコデーで、全学的に停電となり、全員強制的にお休み。
ということで、私は宮崎へと往復してきました。
体は運転で拘束されていますが、頭は自由なので、その間に色々と考えたことを
忘れないように書き留めたのが以下の文章です。
超特急で書いたものなので、意味がつながらないところが無数にあるかと思いますが、
ゼミ生に、現在、私が考えていることの断片を知っておいてもらえると幸いです。
今後、ガリラボの興味関心は、そっちの方向となるでしょうから。

・・・・・

徳島県上勝町は葉っぱビジネスで著名なところです。
私自身はこれをものごとを見る眼の転換、アスペクト変換の事例として認識論の講義を
するときに使わせてもらっています。
昨年映画化もされたようです。
「人生、いろどり」という映画で吉行和子さんとかが出演されたようです。
やりようによって、人口2000人程度、65歳以上の高齢化率が50%以上という町がここまで
活性化し、そして有名になれることを上勝町は教えてくれます。

さて、今日、上勝町の話題は、葉っぱビジネスについてではなく、そこから生まれた
副産物に興味を持ったからです。
昨日、TVの対談番組で、出演されていた中尾ミエさんが高齢化した町であるのに、
老人ホームがなくなった町のことを話題にされていたということを家人より聞きました。
話を聞いてどこの町だろうと思い、ネットで検索したら、上勝町のことでした。
超高齢化なのに老人ホームが廃止された町
中尾ミエさんは「人生、いろどり」に出演されていたようです。

高齢の方でも運べる軽い葉っぱがもたらしたのは収入だけでなく、働く場が生まれたことに
よる健康への影響もだったそうです。
徳島大学の調査によれば、葉っぱビジネス関係している高齢者の皆さんは、

  働くことで自身の健康状態が良くなったと感じることにより、今の生活に対する
  満足感の向上や、加齢に対する否定的な気持ちの軽減につながっている

とのことで、これを紹介してあるブログによれば、

  働くことが生活リズムを維持しやすくし、生活リズムが健康維持につながり、健康感が
  幸福感に影響を与えているわけである

と分析されています。結果、老人ホームが不要になった訳です。

働く場を創出してあげることが福祉につながるわけで、介護とか支援とは異なる方法で
福祉を実現できることを上勝町の実践は示しているわけで、これもアスペクト変換の一種
ではないかと感じます。

さて、上勝町と同様の事例は水俣市にもあります。
老人ホームがなくなったかどうかは不明ですが、やり方は少し似ているのです。
2009年に07ゼミ生を主体にした集団で水俣市にフィールドワークに出かけました。
その時の様子はこちらご覧ください: 2009/10/262009/11/22
水俣市周辺の山あいの村で、お世辞にも立派なところでなく、ほんとに何もないところでした。
観光資源とは全く縁のない単なる田舎でした。
それが村全体を「村丸ごと生活博物館」と称し、村のごく普通の暮らしそのものを地域資源
にしてしまい、村の生活の場に都会の人たちを呼び込まれていたのです。
普通、観光ボランティアと呼ばれる人を「生活学芸員」と称し、学芸員のネームプレートを
つけた年配の方が都会からのお客さんを案内して回られる。
観光ボランティアは、ボランティアですから無料ですけれど、学芸員の場合、有料です!
これに参加して思ったことは、学芸員の方は村の中を歩き回りながら紹介していくわけで、
ご年配の方の運動不足解消になる、若い世代とたくさん会話が出来る、そういうメリットを
享受しながら、さらに料金までもらえるシステムになっている(もちろん料金は低額です)と
いうことでした。
一石三鳥、いやそれ以上あるんじゃないかと感じました。
だいたいが見学者から料金をとることの意味はことのほか大きい。
料金をもらうということは、単なるボランティアよりも遥かに高いレベルのサービス
提供が要求されるからです。
上勝町の葉っぱビジネスには遠く及びませんが、しかし有料であることは趣味では
できなくなります。
相手を満足させるサービスを提供しないといけないでしょうから。
そうなると、やっている側には、当然ながらいろいろな工夫が要求されることになるでしょう。
田舎の高齢者のみなさんが、サービスについて考えることなったでしょう、おそらく。
何もない田舎に、新しいサービス産業が創造された瞬間であったかと思います。

地域を活性化していくということの本質は、一過性のイベントを作り出すことよりも、継続的な
仕事の場を創出し、安定した日常を如何に作り出していくかが大事ではないかと、二つの事例
からわかります。
そんなこと言われなくても知っていることだ、あるいは当然のことだと思うでしょうが、だけど、
それは違います。
可能性は誰でもわかっていても、それを実現していくには保守的な地域(田舎)の人と考え
方を大幅に変えていく意識変革が必要だからです。
これは非常に難しい問題です。
上勝町でも、そして水俣の村まるごと博物館の場合でも、地域の人たちの意識を変えていく
のが非常に難しいことだったようです。
地域に限らず、それより規模の小さい組織であっても意識改革は非常に難しいものです。

意識を変えていくには、上勝町や水俣の村まるごと生活博物館のように、その地域に住む
人たちに、環境変化によって生じている矛盾を浮き彫りにして、それを自分事にさせ、
矛盾のエネルギーを利用して活動システムを作りかえていく学びを生起させていくしかない
だろうと思っています。
 
現在ガリラボではそのための研究を開始しました。
意識改革のための新しい方法の探求です。
M1(13)坂口がガリラボに入ってきて、エンゲストロームの勉強を始めているうちに、急に
そっち方向の道を切り拓いてくれました。
といっても、最近始めたばかりです。
まったく先が見えない状態で、理論も理解不足で、苦闘の日々が続いています。

今後どうなるか全く予断を許さないテーマですが、この活動には、特定の研究意図を持って
私は臨んでいます。
従来、地域に貢献していく研究というと、例えば私たちが地域に入り何かの活動を行なって
地域の課題を解決していく、学生GP制度(地域連携型卒業研究)などがその例ですが、
そういうスタイルが中心でした。
だけど、ガリラボ内で密かに(?)始めた上記研究は、それとちょっと様相が異なります。
質的に違っている。
だから、従来の地域貢献と区別するために、これを第2種地域貢献研究と呼ぶことにします。
また、それと区別するために従来のスタイルを第1種地域貢献研究と呼びたいと思います。
ただし、私の中で両者の研究を明確に区別し、概念化するまでには至っていませんので、
まだ未分化なままでごちゃごちゃしていて、よくは整理できていません。
今後の課題です。
上で先が見えないと書きましたが、そのひとつの理由は、概念化がきちんとできていない
せいもあるかもしれません。
 
問題はありますが、第2種地域貢献研究は、ガリラボでこれから新しく切り拓いて
いこうとしている領域です。
ただし、おおよそイメージしている研究と同様なことをすでに山崎亮さんなど著名な
方々は実践はされています。
しかしながら、それを理論と重ねた形でやられていないので、山崎さんのようなカリスマ的な
人材による名人芸に頼ってしまう面があります。
そうした方法を、神様だけでなく俗人でも可能なのように、理論と合わせた形でやって
いきたいというのが、現在考えていることです。
聖俗革命をやろうと、大げさに言えばそういうことです。
 
地域とは住民からなる集合体であり、それは総体として一種の集合的知性を持つだろうと
仮定し、その知性は単なる刺激ー反応をするシステムでなく、外に働きかけていく能動的な
知性であるとみなします。
その能動性に作用し新しい可能性の空間を生み出すのがヴィゴツキーの2重刺激の方法を
背景にした形成的介入であろうと、直感的にはイメージしてます。
これは地域に学びをもたらしていくための実践にほかなりません。
従来、住民の意志を抽出していくのに使われてきたワークショップやワールドカフェとか、
そういった手法を超える新しい形成的介入の手法を開発し第2種地域貢献研究の確立
していくことが、これからのガリラボ内での長期的かつ重要な研究テーマとして位置
づけていきたい。
そんなことを現在考えています。

まだ全くまとまっていませんが、あえて書きました。
まだ夢の段階です。
が、夢は書かないと実現することもないでしょう。
夢を実現する方法としては、次の5つのことがあると言われています:
 ①できるだけ具体的に考える、
 ②それを紙に書く、
 ③日付をつける(いつその夢の実現するつもりか)、
 ④人に言う、言いふらす、
 ⑤まず、人の夢や目標を応援する。
この方法を実践しようと、一貫性のない矛盾を含んだままの文章ですが、少し具体的に
考えて、ブログに書いて、みなさんに言いふらしました。
これからゼミ生と一緒に研究をやっていきながら、徐々に、徐々に、何年かかけて洗練
させていければと思っています。
 

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